本日、我が家にサダマラソン中の佐田君が寄ってくれた。まずは、どこから話したものか…
当然の疑問。サダマラソンとは、からですね。もちろん
サダマラソンはサダ+マラソンです。
佐田とは大学の同級生で、益子のスターネットさんで働いており、
この度、仕事を辞めて、神戸に帰る途中に寄ってくれた訳です。
見えてきましたね。
そう、益子から神戸までを走って帰るのです、サダマラソン。
サダマラソンルールにはお金は使わない。というものもあり、
いろんな人にお世話になりながら、神戸へと帰るのです。
走って帰ると聞いたとき、なんとも良いなと思った。
いろいろなものが見えるであろう、これから先、
神奈川→神戸間。
密かに、見守りつつ、気をつけて、そしてじっくり楽しんで…と思うのでした。
2010.9.11
サダマラソン
2010.9.11 |
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2010.9.9
オー特注ール
密かに特注の事をオートクチュールと呼んでいる。意味も近いし響きも似ている、「オー特注ール」。
制作の上で、具材を特注で頼む事もしばしある。
先日届いたオートクチュールを紹介します。

左がオー特注ールのRとり。
角のアールを取る際に使用します。
右は道具屋さん購入のRとり。
細かい事ですが、Rのサイズも気を緩めると、市販のサイズで作ってしまいそうに
なります。10mm、15mm、20mmと5mm刻みで揃っているのですが、
やはり18mmが一番バランス良いな、と思う事も多々あり、
そんな時、20mmに妥協せず、「オー特注ール」を頼むのです。
小さい事ですが、そんな事が、大切だなと思います。
因にオー特注ールR取り。逃げの部分も作って貰い、
なんとも使いやすいのです。
制作の上で、具材を特注で頼む事もしばしある。
先日届いたオートクチュールを紹介します。

左がオー特注ールのRとり。
角のアールを取る際に使用します。
右は道具屋さん購入のRとり。
細かい事ですが、Rのサイズも気を緩めると、市販のサイズで作ってしまいそうに
なります。10mm、15mm、20mmと5mm刻みで揃っているのですが、
やはり18mmが一番バランス良いな、と思う事も多々あり、
そんな時、20mmに妥協せず、「オー特注ール」を頼むのです。
小さい事ですが、そんな事が、大切だなと思います。
因にオー特注ールR取り。逃げの部分も作って貰い、
なんとも使いやすいのです。
2010.9.9 |
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2010.9.8
○○の秋
ブログに間隔があきました。というのも、秋の夜長は、修理をしようと意気込んで、
いろんなものを直しておりました。するといろんな所に目が向き、
お風呂の大掃除をしたりと、いう始末。
おかげで、工房はきれいになりました。
そして「芸術の秋」と称し、
ビデオを借りに行くも、バイクがパンク、手押しで帰ったりと、
踏んだりけったり、な日々でした。
そして、「クリスマス・キャロル」を読みました。
ディッケンズのあれです。
ふむふむ。スクルージの様にカチコチの心にならない為にも、
昔の事を思い出すのは、大切だな、なんて思ったりしました。
「柔らかき感性」という言葉を思い浮かべては、ふにゃふにゃになる、
のが好きな僕にとっては、カチコチなんて…
いろいろ、昔の事を思い返しておったりもしました。
たまには良いものです。
思い出した昔の話をひとつ
小学校低学年の頃、好きな子が出来ました。
どうして良いのやらな、僕は、
「とりあえず、身体だけはきれいにと」いつもより丁寧に身体を洗う事にしました。
なかなか、乙な子供じゃないか!
とりあえず、身体はきれいに…
柔らかき感性を…
今年の秋は、こんな感じで臨もうと思います。
いろんなものを直しておりました。するといろんな所に目が向き、
お風呂の大掃除をしたりと、いう始末。
おかげで、工房はきれいになりました。
そして「芸術の秋」と称し、
ビデオを借りに行くも、バイクがパンク、手押しで帰ったりと、
踏んだりけったり、な日々でした。
そして、「クリスマス・キャロル」を読みました。
ディッケンズのあれです。
ふむふむ。スクルージの様にカチコチの心にならない為にも、
昔の事を思い出すのは、大切だな、なんて思ったりしました。
「柔らかき感性」という言葉を思い浮かべては、ふにゃふにゃになる、
のが好きな僕にとっては、カチコチなんて…
いろいろ、昔の事を思い返しておったりもしました。
たまには良いものです。
思い出した昔の話をひとつ
小学校低学年の頃、好きな子が出来ました。
どうして良いのやらな、僕は、
「とりあえず、身体だけはきれいにと」いつもより丁寧に身体を洗う事にしました。
なかなか、乙な子供じゃないか!
とりあえず、身体はきれいに…
柔らかき感性を…
今年の秋は、こんな感じで臨もうと思います。
2010.9.8 |
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2010.9.1
秋の夜長
さて、僕はジーパンが好きである。きちんとした格好をして行く必要がなければ、
大抵ジーパンを履いている。
と言っても、何もビンテージだとか、何年代のこれこれが…
というような事はなく、サイズが良ければ、満足して履いている。
ジャストサイズのジーパンが2本穴があいた。
昨日の深夜、ふっと思い立って、ジーパンの修理を始めた。
これが面白いのなんのって、ジーパンの厚さを維持しつつ穴を埋めてゆくのである。
さて昨夜の成果です。





よく見ると、いろんな穴があって楽しい。
そして、修理も面白く、もっと破れたジーパンは無いのか、といささか倒錯した
心持ちにすらなる。穴埋め作業は奥深く、糸のチョイス(昨日は家にある糸を使用)
から、縫いのピッチ等々、あと10本程直せば、すごく上達しそうだ。
さて、我が家には、いろいろ、修理をまっている物が沢山ある。
秋の夜長はいろんな修理を楽しもう。
次は、折りたたみ椅子の布の貼り直しをしよう。
そして、やってみると楽しいので、
はまりすぎない様、気をつける事にしよう。
あー、秋の夜長が楽しみだ。
大抵ジーパンを履いている。
と言っても、何もビンテージだとか、何年代のこれこれが…
というような事はなく、サイズが良ければ、満足して履いている。
ジャストサイズのジーパンが2本穴があいた。
昨日の深夜、ふっと思い立って、ジーパンの修理を始めた。
これが面白いのなんのって、ジーパンの厚さを維持しつつ穴を埋めてゆくのである。
さて昨夜の成果です。





よく見ると、いろんな穴があって楽しい。
そして、修理も面白く、もっと破れたジーパンは無いのか、といささか倒錯した
心持ちにすらなる。穴埋め作業は奥深く、糸のチョイス(昨日は家にある糸を使用)
から、縫いのピッチ等々、あと10本程直せば、すごく上達しそうだ。
さて、我が家には、いろいろ、修理をまっている物が沢山ある。
秋の夜長はいろんな修理を楽しもう。
次は、折りたたみ椅子の布の貼り直しをしよう。
そして、やってみると楽しいので、
はまりすぎない様、気をつける事にしよう。
あー、秋の夜長が楽しみだ。
2010.9.1 |
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2010.9.17
土井さんとベランダで
すっかり秋だ。気がつけばロンTを着ている。それだけでただただ嬉しい。
そうロンT、大好きなのです。
朝、夕と肌寒く、そんな日は、ベランダで、土井さん(前回登場)と話をする。
夏で、思考停止されていた頭が、ようやく、少し回転を始めた。(長かった…夏…)
ベランダにコーヒを持ち、土井さんとおしゃべり(といっても独り言に近いのですが。)
ヤ(ヤマモトの略)「土井さんは、なんで工場長になったの」
ド(もちろん土井さんのド)「工場長は総合的だからな。」
ヤ「そんなに総合って魅力的?」
ド「今となっては、部分的な事ななんて、興味持てんな。」
ヤ「何故?」
ド「おまえさんは、総合って簡単に言うけど、どう考えてるんだい?」
ヤ「うーん。総合は総合でしょ、土井さん。」
ド「総合ってのはだな、人体みたいなもんさ、部分が全体であり、全体が部分なんだ。」
ヤ「実に分かりにくいよ!」
ド「そうさな、分かりにくく言うと、分かりやすくなるかもな、例えばおまえさんが、
完璧に総合的にバランスがとれたものを作ったとする。」
ヤ「うん。」
ド「それはね、三日月の端にクリップで留めたメモのようなモノになる。」
ヤ「?」
ド「つまりね、誰も気づかないのさ!そんなものがあることに。」
ヤ「それに意味はあるの?」
ド「意味は無くはない。百人に一人位は、気付くんだ。月に何かあるぞって。」
ヤ「うんうん」
ド「そして、運良く気付いたとしても、何て書いてるのかは、分からないんだ。」
ヤ「また振り出しだね。」
ド「そうでもないさ。お前さんが、見たければ、何て書いてあるか、見ればいいのさ。」
ヤ「土井さんは、見たの?何て書いてあるか?」
ド「ワしゃ、見ておらん、あんまり、見たいとも思わんのでな。」
ヤ「そんな!きっと素敵な言葉が書いているよ。」
ド「素敵かもしらんが、わしは見たくないんだ。後戻り出来なくなるからな。」
ヤ「後戻り?」
ド「そう。秘密は秘密のままでいいんじゃ。」
ヤ「そんなもんかな?」
ド「わしにとってはな。おまえさんは、見た方が、良いんかもしらんが、
誰にも、そんな事は、分かりゃせんよ。」
ヤ「今日は、なんだか抽象的な話だね。」
ド「抽象的な事も、突き詰めると、具体的になるし、一定のポイントを超えれば
それらは、繋がっておるんじゃぞ。」
ヤ「そんなもんかな。」
ド「そんなもんじゃ、経験則じゃ。」
などと、つらつらとりとめもなく。
やはり、一人の時間が長いと、それなりに楽しみをみいだすんだな、人って。(僕ってだな。)

ベランダからの風景。吸い込まれそう。
そうロンT、大好きなのです。
朝、夕と肌寒く、そんな日は、ベランダで、土井さん(前回登場)と話をする。
夏で、思考停止されていた頭が、ようやく、少し回転を始めた。(長かった…夏…)
ベランダにコーヒを持ち、土井さんとおしゃべり(といっても独り言に近いのですが。)
ヤ(ヤマモトの略)「土井さんは、なんで工場長になったの」
ド(もちろん土井さんのド)「工場長は総合的だからな。」
ヤ「そんなに総合って魅力的?」
ド「今となっては、部分的な事ななんて、興味持てんな。」
ヤ「何故?」
ド「おまえさんは、総合って簡単に言うけど、どう考えてるんだい?」
ヤ「うーん。総合は総合でしょ、土井さん。」
ド「総合ってのはだな、人体みたいなもんさ、部分が全体であり、全体が部分なんだ。」
ヤ「実に分かりにくいよ!」
ド「そうさな、分かりにくく言うと、分かりやすくなるかもな、例えばおまえさんが、
完璧に総合的にバランスがとれたものを作ったとする。」
ヤ「うん。」
ド「それはね、三日月の端にクリップで留めたメモのようなモノになる。」
ヤ「?」
ド「つまりね、誰も気づかないのさ!そんなものがあることに。」
ヤ「それに意味はあるの?」
ド「意味は無くはない。百人に一人位は、気付くんだ。月に何かあるぞって。」
ヤ「うんうん」
ド「そして、運良く気付いたとしても、何て書いてるのかは、分からないんだ。」
ヤ「また振り出しだね。」
ド「そうでもないさ。お前さんが、見たければ、何て書いてあるか、見ればいいのさ。」
ヤ「土井さんは、見たの?何て書いてあるか?」
ド「ワしゃ、見ておらん、あんまり、見たいとも思わんのでな。」
ヤ「そんな!きっと素敵な言葉が書いているよ。」
ド「素敵かもしらんが、わしは見たくないんだ。後戻り出来なくなるからな。」
ヤ「後戻り?」
ド「そう。秘密は秘密のままでいいんじゃ。」
ヤ「そんなもんかな?」
ド「わしにとってはな。おまえさんは、見た方が、良いんかもしらんが、
誰にも、そんな事は、分かりゃせんよ。」
ヤ「今日は、なんだか抽象的な話だね。」
ド「抽象的な事も、突き詰めると、具体的になるし、一定のポイントを超えれば
それらは、繋がっておるんじゃぞ。」
ヤ「そんなもんかな。」
ド「そんなもんじゃ、経験則じゃ。」
などと、つらつらとりとめもなく。
やはり、一人の時間が長いと、それなりに楽しみをみいだすんだな、人って。(僕ってだな。)

ベランダからの風景。吸い込まれそう。
2010.9.17 |
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2010.8.30
【column】機能性について
シャワーを浴びる前のひとブログ。スパゲティータイムコラム。
さて、いつ頃だったか、機能性という言葉が巷間でよく聞くようになった。
僕が高校生の頃か、まあその辺りだったと思う。
そして、僕の反応は「本当か?」というもの。疑り深いというか、
受け入れるまでに時間がかかる、そして受け入れた後だって、
たまには「本当なのか?」と検証したりする。我ながら厄介な性格である。
今思うと、機能性という言葉は、何も使いやすさを表す言葉ではないような気がする。
機能性という言葉が囁かれ始めた頃、いろんな技術の発達により、電子機器のポータブル化
があったのではないか?そしてポータブル化に合わせ、鞄業界もそれに合わせ、
ポータブル商品の持ち運びを進める事となる。その際にその現象を表す言葉として
「機能性」という言葉が採用されたのではないだろうか。
だってさ、(なんちゅうものいい)僕にとって機能性を詠われた鞄が、使いやすかった
事なんてないもの。「ポータブル化対応鞄」なんて控えめに言って欲しいと思うが、
それでは売れないのだろう、しかし…である。
そしてなんで機能性鞄が使いにくいか(というか僕と相性が悪いか)いろんな物を
持ち運ぶ、ノートパソコン、アイフォン、手帳などなどを持ち運ぶと、当然それらの機械を
使う事となる。そうすると、~ながらという機会が増えるのである。
要するに、機能性バッグを持つと、気が散るというか、散漫になる。
幸田露伴は、著書の中で、一つの事をやる時は、それに集中しなさいと言っている。
僕はこれに賛成だ。だから例えばポケットが一つの鞄を持ち、何を持ち歩くべきかを検証し
必要な物のみを、持ち運ぶ。ポケット一つだからこそ、検証する。
そう考えると、ポケット一つ位の鞄の方が、機能的と言えるのではないか?
すっきりした、吐き出す事は気持ちが良い。
しかし、なぜ、コラムを書こうと思った自分自身が謎である。
またそんな気分になったら、また書いてみようと思う。
それでは、シャワーを浴びてきます。
さて、いつ頃だったか、機能性という言葉が巷間でよく聞くようになった。
僕が高校生の頃か、まあその辺りだったと思う。
そして、僕の反応は「本当か?」というもの。疑り深いというか、
受け入れるまでに時間がかかる、そして受け入れた後だって、
たまには「本当なのか?」と検証したりする。我ながら厄介な性格である。
今思うと、機能性という言葉は、何も使いやすさを表す言葉ではないような気がする。
機能性という言葉が囁かれ始めた頃、いろんな技術の発達により、電子機器のポータブル化
があったのではないか?そしてポータブル化に合わせ、鞄業界もそれに合わせ、
ポータブル商品の持ち運びを進める事となる。その際にその現象を表す言葉として
「機能性」という言葉が採用されたのではないだろうか。
だってさ、(なんちゅうものいい)僕にとって機能性を詠われた鞄が、使いやすかった
事なんてないもの。「ポータブル化対応鞄」なんて控えめに言って欲しいと思うが、
それでは売れないのだろう、しかし…である。
そしてなんで機能性鞄が使いにくいか(というか僕と相性が悪いか)いろんな物を
持ち運ぶ、ノートパソコン、アイフォン、手帳などなどを持ち運ぶと、当然それらの機械を
使う事となる。そうすると、~ながらという機会が増えるのである。
要するに、機能性バッグを持つと、気が散るというか、散漫になる。
幸田露伴は、著書の中で、一つの事をやる時は、それに集中しなさいと言っている。
僕はこれに賛成だ。だから例えばポケットが一つの鞄を持ち、何を持ち歩くべきかを検証し
必要な物のみを、持ち運ぶ。ポケット一つだからこそ、検証する。
そう考えると、ポケット一つ位の鞄の方が、機能的と言えるのではないか?
すっきりした、吐き出す事は気持ちが良い。
しかし、なぜ、コラムを書こうと思った自分自身が謎である。
またそんな気分になったら、また書いてみようと思う。
それでは、シャワーを浴びてきます。
2010.8.30 |
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2010.8.29
大海原
ANDADURAでは、使う部位に併せ、2種類の革を鞣してもらっております。
以前のブログで紹介しました半シュリンクと1.1と呼んでいる革の2種類。
今回は1.1の革の紹介です。
1.1とは、革の厚みの事、1.1mmの厚さの革という事です。
因に半シュリンクは1.6mm~1.8mmの厚みでお願いしております。
この2種類の厚みの革を、さらに、「漉き機」で部分的に厚さ調整してから
使います。
1.1mmの革は、内側のカード部分や、名刺入れなどで使っております。
名刺入れは、内ポケットに収まる厚みにするため、1.1mmの革で作っております。
それでは、1.1と半シュリンクの質感です。
まずはおなじみ(?)の半シュリンク

半シュリンクと1.1の革


少し離れて撮った1.1。大海原のよう。
まったくきれいに見えますが、革は生き物。
近くから撮ると

部分的に傷やら、何やらがあります。
「なるべくピタッと」とお願いしております、「大海原」(気に入りましたこの呼び名)
ピタッとする為には、バインダーアイロンという行程を経ます。
裏から、革にアイロンをかけます。しかし、あまりに強いと、革の表面の
表情がなくなる為、表情は生かしつつピタッとアイロンがけ。
その為、革の繊維がつまり、薄くても、張りのある革に仕上がります。
今回は「大海原」の紹介でした。
以前のブログで紹介しました半シュリンクと1.1と呼んでいる革の2種類。
今回は1.1の革の紹介です。
1.1とは、革の厚みの事、1.1mmの厚さの革という事です。
因に半シュリンクは1.6mm~1.8mmの厚みでお願いしております。
この2種類の厚みの革を、さらに、「漉き機」で部分的に厚さ調整してから
使います。
1.1mmの革は、内側のカード部分や、名刺入れなどで使っております。
名刺入れは、内ポケットに収まる厚みにするため、1.1mmの革で作っております。
それでは、1.1と半シュリンクの質感です。
まずはおなじみ(?)の半シュリンク

半シュリンクと1.1の革


少し離れて撮った1.1。大海原のよう。
まったくきれいに見えますが、革は生き物。
近くから撮ると

部分的に傷やら、何やらがあります。
「なるべくピタッと」とお願いしております、「大海原」(気に入りましたこの呼び名)
ピタッとする為には、バインダーアイロンという行程を経ます。
裏から、革にアイロンをかけます。しかし、あまりに強いと、革の表面の
表情がなくなる為、表情は生かしつつピタッとアイロンがけ。
その為、革の繊維がつまり、薄くても、張りのある革に仕上がります。
今回は「大海原」の紹介でした。
2010.8.29 |
information
2010.8.27
ファスナー引き手が出来るまで
ANDADURAのファスナーには、革の引き手がついております。引き手は、旅立つ時に備えまとめて作ります。
本日はその引き手が出来るまでをレポート致します。

まずは引き手の抜き型。これは、抜き型屋さんにお願いして作って貰います。
細かいパーツなどはこの抜き型を作ります。

そして『抜き型抜き機』と呼んでいるもの、自作です。
これを、トンカチでトントンと抜きます。

抜き型抜き機で、抜いたパーツ達。これに、染料を塗り縫ってゆきます。

沢山縫いました。小さいパーツなので、丁寧に縫います。
ここから、糸処理をし、コバを磨きます。ヤスリで整え、魔法の液体をつけ
さらに磨きます。

出来上がった引き手達。旅立つまで、ファスナーボックスに収められます。

ファスナーボックス。ファスナー関係のパーツが収められております。
これから揉まれる荒波に備え、待機です。人間に例えるならば、『学生時代』
といった所。
本日は3分(以上かかっているけど)引き手メイキングでした。
本日はその引き手が出来るまでをレポート致します。

まずは引き手の抜き型。これは、抜き型屋さんにお願いして作って貰います。
細かいパーツなどはこの抜き型を作ります。

そして『抜き型抜き機』と呼んでいるもの、自作です。
これを、トンカチでトントンと抜きます。

抜き型抜き機で、抜いたパーツ達。これに、染料を塗り縫ってゆきます。

沢山縫いました。小さいパーツなので、丁寧に縫います。
ここから、糸処理をし、コバを磨きます。ヤスリで整え、魔法の液体をつけ
さらに磨きます。

出来上がった引き手達。旅立つまで、ファスナーボックスに収められます。

ファスナーボックス。ファスナー関係のパーツが収められております。
これから揉まれる荒波に備え、待機です。人間に例えるならば、『学生時代』
といった所。
本日は3分(以上かかっているけど)引き手メイキングでした。
2010.8.27 |
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2010.8.26
宿題【益子参考館レポート】
さて、重い腰は上がりました、なんせ、自分でレポートと言ったものの気分は宿題。
そう言えば、夏休みの宿題は、ぎりぎりでこなしておりましたもの…
という訳で、参考館についての写真を選びながら、
これは、伝わらないだろうな…と思った。
やはり身をその場にを置いて感じる事が、参考館の本質なのであろうが。
それでも、分からない、なりにも提出するのが、宿題の性。
100点じゃなくても提出さえすれば、廊下に立たされる事も無い…
という0点意識&言い訳からレポートを始めたいと思います。
それでは、参考館の写真(たくさん)を載せますので、
ゆっくりご覧下さい。それでは、参考館の門から写真は始まります。















さて長々とご覧頂きありがとうございます。
何か感じましたでしょうか?
おそらく写真になると感じる事は難しいですね。
参考館フリークの僕でも参考館の記憶を参照する事しか出来ません。
という訳で、初めての参考館で感じた事を、つらつら書きたいと思います。
初めて参考館に行ったのは3年前の事。その頃は設計会社を退職し、
鞄の工房で修行中の頃。
参考館に行く前にある方から「古いものを見なさい。」と言われた。
正直、骨董市にも足しげく通い、古いものを見ていたのだ。
そんな事があり、参考館に行った。
気持ちが良かった…なんだか分からないけど、眠たくなった。
なんでこんなに気持ちが良いのか分からなかった。
けれども、設計という場所で感じてきた違和感みたいなものが
分かった気がした。僕はモノを作る時、頭でモノを考えていたのだ。
その場所の事、その場所の歴史や風景や、そこに住む人の思いや、
そんなモロモロを見ず、考えず、平面図を眺め、それこそが
僕が考える、唯一の要素だったのだ。そう考えると、寂しくなった、
悲しくなった。
参考館は人の手の入ったものでも、気持ちが良い。
山と藁葺きの家、門や、置物や、大壺が自然と調和している。
きちんとその場所に向かい合い、身体で感じて作っているのだ。
そして「古いものを見なさい。」と言われた意味が分かったような気がした。
結局の所、僕は古いものを見るにしても、デザインという限られた見方をしていたのだ
と思った。表層の素材や形などを面白いと言って見てたけど、何も見てはいなかったのだ。
そしてこんなものが作れるんだと、モノを作る意味が見えた気がした。
それまで「無い方が良い。」というのが口癖の僕には、モノを作る意味が
分からなかったのだ。(もちろん経済活動なんだな、みたいなニュアンスでは
理解していたが…)
益子参考館は、展示されたモノもすばらしいが、その参考館自体を濱田庄司は
伝えたかったのではないだろうか。
僕にとって、物を作る意味が見えた場所。
行く度に、まだまだだ、と思うものの、目線の先には、そんな世界が広がっているのだ。
ありがとう、参考館。
そしてその帰りの車中は、ホント怒っていたっけ、勝手に
目に見えるプロダクトを見つけては、気持ち良くない、と。
車中を共にした、友人には悪い事をしたと思う。
感動したかと、思うと、次は怒りに満ちあふれている、
ほんとややこしい性格(単純とも言いますね。)ですまない。
長々となりましたが、参考館レポートです。
これを読んで、参考館に興味を持って頂けたら嬉しいです。
それでは、宿題を終えた子供のように、遊びに行きたい所ですが、
今は夜。おやすみなさい。
そう言えば、夏休みの宿題は、ぎりぎりでこなしておりましたもの…
という訳で、参考館についての写真を選びながら、
これは、伝わらないだろうな…と思った。
やはり身をその場にを置いて感じる事が、参考館の本質なのであろうが。
それでも、分からない、なりにも提出するのが、宿題の性。
100点じゃなくても提出さえすれば、廊下に立たされる事も無い…
という0点意識&言い訳からレポートを始めたいと思います。
それでは、参考館の写真(たくさん)を載せますので、
ゆっくりご覧下さい。それでは、参考館の門から写真は始まります。















さて長々とご覧頂きありがとうございます。
何か感じましたでしょうか?
おそらく写真になると感じる事は難しいですね。
参考館フリークの僕でも参考館の記憶を参照する事しか出来ません。
という訳で、初めての参考館で感じた事を、つらつら書きたいと思います。
初めて参考館に行ったのは3年前の事。その頃は設計会社を退職し、
鞄の工房で修行中の頃。
参考館に行く前にある方から「古いものを見なさい。」と言われた。
正直、骨董市にも足しげく通い、古いものを見ていたのだ。
そんな事があり、参考館に行った。
気持ちが良かった…なんだか分からないけど、眠たくなった。
なんでこんなに気持ちが良いのか分からなかった。
けれども、設計という場所で感じてきた違和感みたいなものが
分かった気がした。僕はモノを作る時、頭でモノを考えていたのだ。
その場所の事、その場所の歴史や風景や、そこに住む人の思いや、
そんなモロモロを見ず、考えず、平面図を眺め、それこそが
僕が考える、唯一の要素だったのだ。そう考えると、寂しくなった、
悲しくなった。
参考館は人の手の入ったものでも、気持ちが良い。
山と藁葺きの家、門や、置物や、大壺が自然と調和している。
きちんとその場所に向かい合い、身体で感じて作っているのだ。
そして「古いものを見なさい。」と言われた意味が分かったような気がした。
結局の所、僕は古いものを見るにしても、デザインという限られた見方をしていたのだ
と思った。表層の素材や形などを面白いと言って見てたけど、何も見てはいなかったのだ。
そしてこんなものが作れるんだと、モノを作る意味が見えた気がした。
それまで「無い方が良い。」というのが口癖の僕には、モノを作る意味が
分からなかったのだ。(もちろん経済活動なんだな、みたいなニュアンスでは
理解していたが…)
益子参考館は、展示されたモノもすばらしいが、その参考館自体を濱田庄司は
伝えたかったのではないだろうか。
僕にとって、物を作る意味が見えた場所。
行く度に、まだまだだ、と思うものの、目線の先には、そんな世界が広がっているのだ。
ありがとう、参考館。
そしてその帰りの車中は、ホント怒っていたっけ、勝手に
目に見えるプロダクトを見つけては、気持ち良くない、と。
車中を共にした、友人には悪い事をしたと思う。
感動したかと、思うと、次は怒りに満ちあふれている、
ほんとややこしい性格(単純とも言いますね。)ですまない。
長々となりましたが、参考館レポートです。
これを読んで、参考館に興味を持って頂けたら嬉しいです。
それでは、宿題を終えた子供のように、遊びに行きたい所ですが、
今は夜。おやすみなさい。
2010.8.26 |
note
2010.8.22
本日
益子、宇都宮より戻って参りました。
宇都宮では、ATELIER n°18 TRAVAILさんにお邪魔しました。
陳列棚に並べられた、小物達、大切にされている姿が、嬉しく思いました。
益子ではSTARNETさんに…
夏の益子は初でしたが、気持ち良く、
そしてそして、もちろん益子参考館にも行って参りました。
また参考館レポートは、明日にしたいと思います。(膨大な写真を撮ったもので…)

猫に生まれ変わったら、参考館に住みたいな、と思う程、
気持ち良さそうな猫たち。その動きは野生でした。
それでは、レポートお楽しみに。
宇都宮では、ATELIER n°18 TRAVAILさんにお邪魔しました。
陳列棚に並べられた、小物達、大切にされている姿が、嬉しく思いました。
益子ではSTARNETさんに…
夏の益子は初でしたが、気持ち良く、
そしてそして、もちろん益子参考館にも行って参りました。
また参考館レポートは、明日にしたいと思います。(膨大な写真を撮ったもので…)

猫に生まれ変わったら、参考館に住みたいな、と思う程、
気持ち良さそうな猫たち。その動きは野生でした。
それでは、レポートお楽しみに。
2010.8.22 |
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