ANDADURA

BLOG

2010.8.30

【column】機能性について

シャワーを浴びる前のひとブログ。スパゲティータイムコラム。

さて、いつ頃だったか、機能性という言葉が巷間でよく聞くようになった。
僕が高校生の頃か、まあその辺りだったと思う。
そして、僕の反応は「本当か?」というもの。疑り深いというか、
受け入れるまでに時間がかかる、そして受け入れた後だって、
たまには「本当なのか?」と検証したりする。我ながら厄介な性格である。

今思うと、機能性という言葉は、何も使いやすさを表す言葉ではないような気がする。
機能性という言葉が囁かれ始めた頃、いろんな技術の発達により、電子機器のポータブル化
があったのではないか?そしてポータブル化に合わせ、鞄業界もそれに合わせ、
ポータブル商品の持ち運びを進める事となる。その際にその現象を表す言葉として
「機能性」という言葉が採用されたのではないだろうか。

だってさ、(なんちゅうものいい)僕にとって機能性を詠われた鞄が、使いやすかった
事なんてないもの。「ポータブル化対応鞄」なんて控えめに言って欲しいと思うが、
それでは売れないのだろう、しかし…である。

そしてなんで機能性鞄が使いにくいか(というか僕と相性が悪いか)いろんな物を
持ち運ぶ、ノートパソコン、アイフォン、手帳などなどを持ち運ぶと、当然それらの機械を
使う事となる。そうすると、~ながらという機会が増えるのである。
要するに、機能性バッグを持つと、気が散るというか、散漫になる。
幸田露伴は、著書の中で、一つの事をやる時は、それに集中しなさいと言っている。

僕はこれに賛成だ。だから例えばポケットが一つの鞄を持ち、何を持ち歩くべきかを検証し
必要な物のみを、持ち運ぶ。ポケット一つだからこそ、検証する。
そう考えると、ポケット一つ位の鞄の方が、機能的と言えるのではないか?

すっきりした、吐き出す事は気持ちが良い。
しかし、なぜ、コラムを書こうと思った自分自身が謎である。
またそんな気分になったら、また書いてみようと思う。

それでは、シャワーを浴びてきます。
2010.8.30 | note
page top