ANDADURA

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2024.12.28

仕事納め

 

急に年末がやってきたようで、気がつけば仕事納め。
大掃除でもしようかと思ったけど、通常制作がしたいなと思ったので、
正月は旧暦を採用するとして、淡々と制作する。

今年は「しゃーない(しかたがない)」と「知らんがな」「まっ、なんとなく」という言葉をよく使った一年でした。

今年もありがとうございました。

 

 

2024.12.28 | note

2024.12.21

ついつい

 
ものを作ったら、名前をつけて、なにかしらの文章で、どんな風に作ったのかと綴ることが、自然とセットになっています。ものをおさめるパッケージを考えることも、その連なりのひとつ。
 
 
今回は、ちょうど良いもの見つからなかったので、試作の型紙などに使う、ポール紙でパッケージの型紙を作り、ボール紙で作りました。
 
パッケージはついつい作ってしまいます。
 
 
「ついつい」がてら、簡易梱包のための、ダンボール枠も作りました。
 
 
 
2024.12.21 | note

2024.10.23

「住んでいる町」終了しました

 

tirupatiさんでの展示「住んでいる町」終了しました。

自分が住む町で展示するなら、何がしたいんだろう?
と考えながら、作っていった展示会でした。

 



いろのみさんの演奏会は、しとしと降る雨の中に行われました。
セッティングから演奏会までを見ていて、新しい楽器や、場所や環境にチューニングするように、終始、笑い声とともに楽しみながら進んでいくようすが、いいなぁと思いながら眺めていました。

 


あたたかな、心にしみる演奏会でした。
普段あっている友人や、はじめましての方と一緒に音楽を共有できるのは、よき時間でした。作ったカーテンは使わなかったものの、物販コーナーの敷物として、使われていました。終始ブリコラージュな演奏会でした。

展示に向けて作った小さな冊子は、今後も細々と続いていく予定です。
小さな読み物を自分たちの手で作れたことに、手応えのようなものも感じました。

個展というかたちは、久しぶりでしたが、いろんな方に見ていただき、お話できたこともよい時間でした。関わってくださった方、お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。
 
 
写真は展示室の裏庭の木に住んでいる鳩。(分かりにくいですが)
在店の日は、会場に着くと、毎日見に行っていました。 
 
 
2024.10.23 | note

2024.10.15

磯部さんのブリコラージュ

 

2010年頃に、神奈川から益子に引っ越す家に、もともと住んでいたのが、いろのみの磯部さんでした。僕は益子の、その家での暮らしを「家電のある、原始人の暮らし」と呼んでいました。

 

家を背景に自分たちを撮った年賀状を見て、「こんな家で暮らして、涙が出てくる。」という言葉を聞き、少し驚いた。その頃の僕は、望んでそういう暮らしをしてみたいと思っていたけど、なかなかの家なんだな、と思いました。朝起きると洗剤もカチコチに凍っているし、冬はいくらストーブをつけても、2度以上、上がらないし。冬は家電の力も及ばず、ただの「原始人の暮らし」になっていた節もある。

 

磯部さんは、「家電のある、原始人の暮らし」をしていたという、同じ釜の飯的な関係。あの家に住んでいたというだけでも、多くのものを共有している気がしてくるから不思議なものだ。

 

その家の中には磯部さんが作ったものも多く、今でもたまに思い出すのは、キッチンからお風呂に水を引くために使われていた竹筒。風呂場に蛇口が無いので、お風呂の壁に穴をあけたこところに竹筒で風呂場まで水を送り、キッチン付近の(つけるのにコツがいる)ボイラーで、お湯を沸かす。

 

友達が遊びに来て、お風呂に入っている時に、こっそりと水を出し、背中に水が急にやってきて「冷やっ」という、子供のような遊びに興じることができたのもあの竹筒のおかげだ。

 

演奏会が「ブリコラージュ」と名付けられて、頭に浮かんだのは益子の家の竹筒でした。なぜかは分かりませんが、あの竹筒のことを書いてみたいと思いました。そんなイメージを思い出しつつ、演奏会を楽しみにしています。

 

 

2024.10.15 | note

2023.12.24

クリッカーのオイル交換

工房にある、油圧裁断機(通称クリッカー)のオイルを交換しました。

 

クリッカーのオイル交換は検索してみても、数件しか記事がなかった(説明書なども出てこない)ので、自分が行ったやり方を忘備録をふまえて書いてみます。このやり方が合っているかは分かりませんが、参考になれば、と思います。

 

使っているクリッカーは大石工業さんのOHC-1000A(ふじA型)です。オイルはハイドロリックオイル(油圧作動油)の32番です。

 

 

前面のパネルのネジを外します。

 

 

機械の底に、オイルが溜まっています。

これを灯油缶に移していきます。地味にシュポシュポと入れていきます。

クリッカーを購入した際に、前の持ち主の方から伝えてもらったのは、30番手のオイルを60リットルとのことでしたが、オイルを全部灯油缶に入れても、40リットルでした。うーん、どっちを信用しようか。

 

クリッカーのオイル交換の際に大変なのは、廃油をどうするか、という事ですが、僕は近所のガソリンスタンドのおっちゃんに相談し、廃油を引き取ってもらいました。その後、灯油を0.5リットル入れ、灯油缶の中を洗い→廃油→また灯油を0.5リットル入れて、を3回繰り返しました。

 

オイルを抜いて、オイルを入れればいいと思っていましたが、クリッカーの製造元の記事によると、全部オイルを抜いた後で、灯油で清掃して綺麗な状態にして入れないと、新しいオイルを入れても、オイルがすぐに汚れるとの事でしたので、僕もそりゃそうだ、と思いましたので、そのやり方にしました。

 

オイルを抜いていくと、手前の底の方に、ろ過フィルターが現れます。

 

 

このフィルターでオイルをろ過しています。

 

 

30mmのスパナでも取れない、大きい径のナットを回して取ります。(工具を駆使して、なんとか取りました。)

 

 

中にろ過材が入っているのかと思いきや、スレンレスのネットで濾しているだけみたいです。

1Lのペットボトルを切り、灯油につけて、目詰まりを取ります。この灯油はクリッカー内部の清掃に使います。

 

シュポシュポで底部のオイルを取れるだけとり、あとはウェスでオイルを拭き取っていきます。だいたいオイルが拭き取れましたら、先ほどの灯油を入れ、内部をきれいにしていきます。僕は灯油を入れて拭いてを3回繰り返しました。3回くらいでおおよそ綺麗になりました。

内部を綺麗にしたら、ろ過フィルターを取り付け、オイルを入れてオイル交換完了です。

 

 

クリッカーの中をくまなく見てみると、上の方にギアがありますので、ここはグリスアップしといた方が良さそうです。

オイル交換と言いながらも、フィルター清掃や、内部掃除があります。どこまでやるかは、それぞれの判断でお願いします。

 

こういう説明書の無い機械のメンテナンスは、個人ブログの記事が参考になることが多く、いろんな方のブログのお世話になっている身としては、たまには自分も書いておこうと思い、つらつら書いてみました。

 

 

2023.12.24 | note

2023.9.12

新作作りの頭の中

 

数日前に作った新しいものの話。

新しいものを作る時の脳の動きをドキュメントしてみます。
 
最近は「あっ、作ってみよう。」とフッと思い立ち作りはじめることが多い。今作っているものもそうです。
 
ANDADURAはお財布のレンタルというものをやっていて、使って下さった方に、使った感想をいただいています。お財布を使って下さっている方に感想をいただくこともあります。
 
レンタルの際に感想を書いていただくカードサイズの用紙を同封していて、手紙のやり取りのようなことが出来るのは、ありがたいです。
少し前にレンタルで感想をくださった方に、こんな小さな用紙には収まらないから、とメールでとても細かく感想をいただきました。こんなお財布があったら、との要望も具体的に書いてくださっている。
 
それを眺めて、数日たった頃に、「そのお財布を作ってみよう。」と思い立つ。いただいた要望が明確なので、すぐに完成する。そして早速自分で使い始めてみる。
 
使ってみると、そのお財布は、使うときにコツがいるお財布で、「これはこれで面白いかも。」と思いつつも、このお財布をリリースするとなると、どうなんだろうとも考える。
 
そうやって何日も使っていると、車でいうところの、「マニュアルとオートマ」という軸が出てくる。そうか、このお財布はマニュアル車なんだ、前に子供と見に行ったドリフトをするような車。
 
それなら、リリース出来るマニュアル具合ってどの程度なんだろう?さすがに今使っているハイパーなマニュアル感のお財布は出せないけど、もしかしたら、心地よいマニュアル感ってあるんじゃないか?うん、きっとある。
 
と意気揚々とマニュアルとオートマがグラデーション的になるように試作を重ねる。そうか、こうやったらオートマに近づくんだ。ここのサイズを変えたらマニュアルになるんだ。そうか、そうか、楽しくなってきた。
 
この頃になると、いただいたメールの要望は失念(すみません)し、どのくらいのマニュアル感が心地いいのか?ということばかり考えている。
 
いや待てよ。そもそも、ANDADURAのお財布はマニュアル寄りだよな。使う人への余白は残しているの(つもり)だし、そうかマニュアルに寄せた分、使う人が感覚を使うんだ。
いままでもそんなこと考えていたけど、あまり言語化はしてこなかったな。前にオカズさんとPECHKAのアイテムを作った時も、感覚を使うこと考えていたし。今回も同じことやってないか?作家は同じテーマを言い方をかえて繰り返す、って言葉があるように、そんな自分にたくさんの切り口なんてないんだし、「マニュアルとオートマ」の軸は感覚を使うことを考えるいいきっかけだ、このまま進んでみよう。
 
このお財布のマニュアル感はどの程度に留めるのがいいんだろう?ホックもセンターからずらして付けた方が、手のかたちに無理がないのでは?フタのかぶせ具合も使っていて操作している感覚がいいかも。フタを開けずにカードの取り出しが出来るのはいいけど、何枚が適切な収まりに設定するのがいいだろうか?ひとまず寝かせて、使いながらじっくり考えよう。
 
という感じを繰り返し作っています。かなり、端折ってはいますが、要約するとこういう風に進んでいきます。
作るものが変われば、毎回プロセスは変わるので、今回は「マニュアルとオートマ」の軸にひっぱってもらいながら進みました。
 
作っては使って、また違う形になり、また使って、とインプットとアウトプットを繰り返すことで、見えてる景色が変わり、作ることで新たな視点が生まれます。新作作りは旅みたいです。ひとりブツブツと騒がしく作っています。
 
昨日も、フッと思いたち、違う新しいものを作りはじめました。着地しないものが増えていきますが、そのうち出来るかな、とおおらかに思いつくままに作っていきたいです。
 
 
最初に書きましたが、使った感想を書いていただくフォームあります。
いただいた要望のものを作ろうと思っても、どんどんスライドして違うものになったりしますが、そのきっかけがないと作らなかっただろうと思います。こちらのフォームからご意見いただけましたら嬉しいです。
 
2023.9.12 | note

2023.8.7

憧れ

 

8月7日は僕の誕生日。
毎年、誕生日の過ごし方は1週間くらい前から考えはじめ、そわそわするのが習慣になっています。誕生日に過ごす1日は、それが1年を象徴する出来事であるかのように、1日の過ごし方がトレースされ、広がっていく、そんなイメージを持って大切にしています。

 
いろいろ考えるものの、次の3つの過ごし方になります。
 
何もせずに過ごす。(何もしないとはいえ、本は読む、映画は見ない。)
掃除をして過ごす。
新作をつくる。
 
のどれかになります。その時間の過ごし方が好きです。
 
数日前に、Mac Demarcoさんの『One Wayne G』という199曲入りのアルバムを聴いていたら、あの時に作っていたものをもう一回作ろうという意欲がムクムクと湧いてくる。
今年の誕生日は新作作りの時間になりそうだ、と思っていたけど、ササッと形が決まってしまった。
 
なので、8月7日はブログを書いてみよう思いつく。
自分自身に向けて、というか、ただ文章を書くということが、なかなか出来ないなぁと感じていたので、たまには思うがままに文章を書いてみる、という自分へプレゼント。
 
作った新しいものというのは、数年ころ前に、かなり意欲的に作っていたもので、着地しなかったもの。
「Open Case」という名前で、ただの袋といえば袋。「作り手として何もしていないじゃないか?」と言われれば、まさにそのようなものを作りたかった。というか作る必要性を感じていた。
 
ものを作る上で僕の理想は、星座のようなあり方。空に浮かぶ光の点をつなぎ合わせて、意味を生み、それが、ものがたりになる。
 
憧れのように、夜星を眺めるけど、ただ、星は光であり、僕に物語ってはくれないことに、はがゆさを感じる。
 
僕が作っているものは、装飾性のない、シンプルなものだと思うけど、装飾というものへの憧れもある。デザインを学んでいるうち、「シンプル」という言葉はすごい強度で僕に作用した、有無を言わさず入り込んできたと言ってもいいかもしれないくらい。
 
装飾というのは、人々が共有するものがたり、と言い換えることもできる。
児島虎次郎さんが収集した古代エジプトの装具展を眺めていると、動物や架空の生き物や、人やエネルギーや自然などが描かれている。
それらは、人々が見ていた世界でもあるし、集団の中で共有した(くらくらするくらい)豊かなものがたりなのだ。
 
その繊細さを眺めながら、数千年の時間のあいだに、僕らが無くしてしまった、あるいは感じられなくなったものを感じ静かにうちのめされる。
もし仮に、僕がものに装飾を施しても、それは自分のからだから出たものではなく、装飾の為の装飾になるだろうと思う。
 
星座がものがたらないこと、装飾にものがたりを込められないことは、同じ根っこだ。
 
「シンプル」という造形は、人々が個人になっていくこととリンクしている。
1900年代頃から始まった流れだろうか。僕自身もその流れから出ることはなかなかに難しい。
 
というわけで、オープンケースを作ろうと思い至ったのだ。
シンプルになるなら、これ以上ないというくらいシンプルなものを作る。その極北は、引き返し線のような役割を担ってくれるだろう。
そこに行ききることなしには、豊穣な世界の流れには入れないのではないか?と切実に考えていた。(結構シリアスですね。妄想的でもある。)
 
オープンケースは完成には至らなかったその訳は、適切な素材を手に入れることが出来なかったから。
「この素材で作ろう」と目星をつけていた素材があり、試作を重ねた。そろそろ材料屋さんから本ちゃんの材料を購入しようと思ったところ、なかなかのハードルのロットが設けられていた。その上、素材はかなり前に見たもので、サンプル帳はいただいていたものの、豪雨被害の時に流されてしまっていた。サンプル帳も無く。革屋さんが、素材のサンプルもないとのことで、記憶だけを頼りに素材を作ることが出来なかった。(その個人的なアイテムに、中古車が買えるくらいをかけることが出来なかった、とも言える。)
 
ただ、それだと悔しいので、その時に進めていたサンプルをベースにして、スウェードのラインナップを立ち上げていった。
Open caseとFlat shoulderの本体の構造が同じなのは、Open caseを断念することが出来なかった為、Open caseをベースにして作ったからです。
 
数年前に作ったkarukuというラインも「Open Case」の受け皿として考えていましたが、karukuを作った時と今の感覚が違うので、分けなくてもいいか、と思っています。
(この辺りのこともまた文章にしたいです。)
 
灼熱の日々が続く中、ラジオから『One Wayne G』の曲(調べたら 20190726という曲です)が流れ、何かに感化され、Open Caseを作りました。
『One Wayne G』のてらいのないシンプルな音は、Open Caseを作りたいと思った気持ちに通じるものがあるのかもしれません。
当初はいささか妄想じみたシリアスさで考えていましたが、今はうって変わって、てらいなく素直に作っています。多分Mac Demarcoさんの音楽に触発されたのだと思います。
ありがとうございます。
 
久々に思いつくままに文章を書くのは楽しいです。
いつもは、数日くらい寝かせてアップするのですが、今日は誕生日ということで、一筆書きで書いたままアップします。
暑い日が続く中、さらに暑くなりそうな文章を読んでくださり、ありがとうございます。
今から少し掃除します。
 
 
2023.8.7 | note

2021.3.23

First Rucksack

 

広島にあります、認定こども園さざなみの森さんと一緒に、子供たちが使うリュックを作りました。生地選び、色、仕様などを、菜穂さん、松井さん、さざなみの森のスッタフの方々と、対話しながら1年半くらい前からゆっくりと進めてきました。

 

 
 
最初にさざなみの森さんが大切にする事をじっくり話し合いました。リュックの制作で迷った時は、この言葉とモノを行ったり来たりしながら進めていきました。
 
 
 
リュックの色は、広島の田んぼ、岡山の田んぼを、それぞれ場所で眺めながら決めた、稲穂の垂れた秋を映す色。子どもたちへの成長の願いを込めた色です。お互いの田んぼの写真を送り合いながら、色の最終決定しました。
 
広島と岡山でお互いの見る田の色は違いますが、イメージで同じ色を共有できている手応えがありました。生地は倉敷にあるタケヤリさんにお願いして、バシッとイメージの色に仕上げてもらいました。
 

今回は初めて縫製を縫製屋さんにお願いし、僕はデザインに専念しました。量産に落とし込む際に、スタッフの皆が制作出来るよう、ネジを緩める工程を経る事で、モノに客観性が帯びます。これが量産の楽しさか!と感じる事が出来たのも、すごくいい勉強になりました。

チームでのものづくり、これはハマりますね。縫製チームは倉敷に工場があるSally-allyさんにお願いしました。ほんと最後の最後まで、細かい箇所にもお付き合いいただいた、代表の長野さん、ありがとうございます。
 

子供のアイテムを作る事も初めての経験です。これまでは、自分の体を使って使い心地を確かめていましたが、子供の使用感は見て感じる事しか出来ないので、じっくり観察しました。リュックを背負って違和感なく遊ぶ様子や、気持ちいい〜、といってくれる子もいたりして、たくさん背中を押してもらいました。

 

 
↑1回目の観察、ここからさらに修正して、
 
 
 
↑2回目の観察
 
ここから、ネジを締めたり、緩めたりして、最終の形になりました。
 
自分の子供が生まれたタイミングで依頼いただき、一つ一つに向き合う時間はとてもありがたいギフトのような時間でした。
 
昨日、届けに行き、タグを付けたり、お渡しできる状態に整えました。
 
 
 
 

4月から子供たちが使う姿を想像するとホクホクした気持ちになります。

工房の中でものを考えるというより、さざなみの森の風景の中でものを作ったという手触りが残ってます。子どもたちの成長に寄り添うものになれば嬉しい限りです。

 

 
 
 
 
First Rucksackはonline shopにアップしています。
さざなみの森さんの定番の5色はこちらから 、実験的に制作した、First Rucksack color はこちらから  ご覧ください。
 
 
2021.3.23 | products note

2020.12.19

愛用糸

 

ここ数年、材料や具材などが、少しづつなくなってきている。高齢の方が定年で抜け、後継者がいないと、当たり前にあったものがなくなったり、当たり前に出来ていた事が、出来なくなってきている。案外、業界を支えているのが、数人の方だったりする。

当たり前が、当たり前のことではなく、その持ち場で懸命に働かれている方に支えられたものなのだ。

今回は愛用の糸が仕入れにくくなった。
なくなった訳ではないけど、最小ロットが設けられ、すごくハードルの高いものになった。

具材が変わり、写真を撮りなおし、お店さんも写真を撮りなおす事を考えると、
現在使っているものは、在庫がある分を確保した。

新しく作るものに関しては、愛用糸は使えないので、何かしらの工夫が必要になる。

ANDADURAで使用している糸はコア糸と言って、強い繊維の周りを綿で覆い、強度と質感を両立させたハイブリットな糸を使っています。

他メーカーでもコア糸はあるけど、色数が少なく、これまで通り色を合わせる事が難しくなる。違うタイプの糸を使うか、なかなかなに迷うところ。

新しい目線での組み合わせができるようになる必要がある。

材料や、具材はいつなくなってもおかしくないとバシバシ感じるので、
僕にできる事は、作っているものの本質みたいなものをしっかり据える事だと思います。
その上で、具材や材料が変わっても、本質部分は変えずに柔軟に対応していく。

具材が使いにくくなる事は、うーんと頭を悩ませますが、
その分、本質を眺める良いきっかけと考え、良い方向に進んでいけたらと思います。

ほんと、マイナスをプラスに転じる必要性を感じる機会がとても多くなってきているように感じますが、当たり前に制作できる事に、感謝する事が増えたのはきっとプラスの面ですね。

愛用糸は使えないけど、まだ糸を作ってくださっている会社さんがある事、
とっても感謝です。ありがとうございます。

そんな気分になったので、ブログを書いてみました。

 

 

 

2020.12.19 | note

2020.12.4

ゆずを摘みながら

早くも12月になりました。

そういえば、2010年に独立したので、よく考えてみると(別に考えなくても)
10年経っているなと気がつきました。

というわけで少し初心を思い出してみようと思いつらつら書いてみます。

今から考えてみると、ものを作る、この道に入ったのは、今から15年くらい前に「身体はシステムから自由だ。」という言葉に出会ったのが大きかったような気がしてます。

その時、「確かに!肉体労働しよう。」と思いました。
ただ身体を動かすだけは退屈しそうなので、頭も使う、ものづくりがちょうど良いのではと考えました。

なので、最初に工房で働く時も、ものづくりするっていう事より
「肉体労働するぞ!」と意気込んでました。さらに言えば、身体を使う事を生活の中心に据える事で、自分自身がどう変化するのか?ということに興味津々でした。

最初にミシンを踏んで、手を動かす生活が始まると、「瞑想しているみたいに整うじゃん。」と、たまに通っていた西日暮里の瞑想道場に通うのもやめました。
「無心で手を動かすって瞑想みたいなものだから、仕事していればいいな」と感じたからです。

ANDADURAを始めて(もしくは始める前からも)からずっと、この「身体性」というキーワードが自分の中の柱としてあったように思います。

素材をそのまま形に置き換える、って事も、身体で感じるものを大切にしてきたし、
田舎に移ったのもそうだと思います。(田舎暮らしというより身体暮らしってイメージでした。)

それで、「身体はシステムから自由」なのか?と聞かれると、勿論ですと答えます。

独立当初に「自分が見た事ないものを作ろう」と思ったのは、自分が目にした事ないものが
目の前に現れるって事は、システムの外側に自分がいるって証明だ、などと小難しく考えたからです。

そして、少しづつ自由になっていると確かな手応えを感じていたわけです。


今改めて、この身体性って大切だなと感じています。
「そうだ、肉体労働しよう」と牧歌的に思った15年前より、より窮屈になっている気がするからです。

僕が言いたいのは身体を使うと整いますよ。って事かもしれません。
 
ものを作る事においては頭はさして使っていない気がしますが、頭を使うところは、もっと頭を使わなくてはと思います。

などと、柚子を収穫しながら考えました。
 


言い忘れてますが、ANDADURAを始めて10年、みなさまありがとうございます。
おかげさまでこうやって活動出来ています。
これからもモノを作る事で自由になっていけたらと思ってます。
 
 
2020.12.4 | note
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