ANDADURA

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2023.12.24

クリッカーのオイル交換

工房にある、油圧裁断機(通称クリッカー)のオイルを交換しました。

 

クリッカーのオイル交換は検索してみても、数件しか記事がなかった(説明書なども出てこない)ので、自分が行ったやり方を忘備録をふまえて書いてみます。このやり方が合っているかは分かりませんが、参考になれば、と思います。

 

使っているクリッカーは大石工業さんのOHC-1000A(ふじA型)です。オイルはハイドロリックオイル(油圧作動油)の32番です。

 

 

前面のパネルのネジを外します。

 

 

機械の底に、オイルが溜まっています。

これを灯油缶に移していきます。地味にシュポシュポと入れていきます。

クリッカーを購入した際に、前の持ち主の方から伝えてもらったのは、30番手のオイルを60リットルとのことでしたが、オイルを全部灯油缶に入れても、40リットルでした。うーん、どっちを信用しようか。

 

クリッカーのオイル交換の際に大変なのは、廃油をどうするか、という事ですが、僕は近所のガソリンスタンドのおっちゃんに相談し、廃油を引き取ってもらいました。その後、灯油を0.5リットル入れ、灯油缶の中を洗い→廃油→また灯油を0.5リットル入れて、を3回繰り返しました。

 

オイルを抜いて、オイルを入れればいいと思っていましたが、クリッカーの製造元の記事によると、全部オイルを抜いた後で、灯油で清掃して綺麗な状態にして入れないと、新しいオイルを入れても、オイルがすぐに汚れるとの事でしたので、僕もそりゃそうだ、と思いましたので、そのやり方にしました。

 

オイルを抜いていくと、手前の底の方に、ろ過フィルターが現れます。

 

 

このフィルターでオイルをろ過しています。

 

 

30mmのスパナでも取れない、大きい径のナットを回して取ります。(工具を駆使して、なんとか取りました。)

 

 

中にろ過材が入っているのかと思いきや、スレンレスのネットで濾しているだけみたいです。

1Lのペットボトルを切り、灯油につけて、目詰まりを取ります。この灯油はクリッカー内部の清掃に使います。

 

シュポシュポで底部のオイルを取れるだけとり、あとはウェスでオイルを拭き取っていきます。だいたいオイルが拭き取れましたら、先ほどの灯油を入れ、内部をきれいにしていきます。僕は灯油を入れて拭いてを3回繰り返しました。3回くらいでおおよそ綺麗になりました。

内部を綺麗にしたら、ろ過フィルターを取り付け、オイルを入れてオイル交換完了です。

 

 

クリッカーの中をくまなく見てみると、上の方にギアがありますので、ここはグリスアップしといた方が良さそうです。

オイル交換と言いながらも、フィルター清掃や、内部掃除があります。どこまでやるかは、それぞれの判断でお願いします。

 

こういう説明書の無い機械のメンテナンスは、個人ブログの記事が参考になることが多く、いろんな方のブログのお世話になっている身としては、たまには自分も書いておこうと思い、つらつら書いてみました。

 

 

2023.12.24 | note

2023.9.12

新作作りの頭の中

 

数日前に作った新しいものの話。

新しいものを作る時の脳の動きをドキュメントしてみます。
 
最近は「あっ、作ってみよう。」とフッと思い立ち作りはじめることが多い。今作っているものもそうです。
 
ANDADURAはお財布のレンタルというものをやっていて、使って下さった方に、使った感想をいただいています。お財布を使って下さっている方に感想をいただくこともあります。
 
レンタルの際に感想を書いていただくカードサイズの用紙を同封していて、手紙のやり取りのようなことが出来るのは、ありがたいです。
少し前にレンタルで感想をくださった方に、こんな小さな用紙には収まらないから、とメールでとても細かく感想をいただきました。こんなお財布があったら、との要望も具体的に書いてくださっている。
 
それを眺めて、数日たった頃に、「そのお財布を作ってみよう。」と思い立つ。いただいた要望が明確なので、すぐに完成する。そして早速自分で使い始めてみる。
 
使ってみると、そのお財布は、使うときにコツがいるお財布で、「これはこれで面白いかも。」と思いつつも、このお財布をリリースするとなると、どうなんだろうとも考える。
 
そうやって何日も使っていると、車でいうところの、「マニュアルとオートマ」という軸が出てくる。そうか、このお財布はマニュアル車なんだ、前に子供と見に行ったドリフトをするような車。
 
それなら、リリース出来るマニュアル具合ってどの程度なんだろう?さすがに今使っているハイパーなマニュアル感のお財布は出せないけど、もしかしたら、心地よいマニュアル感ってあるんじゃないか?うん、きっとある。
 
と意気揚々とマニュアルとオートマがグラデーション的になるように試作を重ねる。そうか、こうやったらオートマに近づくんだ。ここのサイズを変えたらマニュアルになるんだ。そうか、そうか、楽しくなってきた。
 
この頃になると、いただいたメールの要望は失念(すみません)し、どのくらいのマニュアル感が心地いいのか?ということばかり考えている。
 
いや待てよ。そもそも、ANDADURAのお財布はマニュアル寄りだよな。使う人への余白は残しているの(つもり)だし、そうかマニュアルに寄せた分、使う人が感覚を使うんだ。
いままでもそんなこと考えていたけど、あまり言語化はしてこなかったな。前にオカズさんとPECHKAのアイテムを作った時も、感覚を使うこと考えていたし。今回も同じことやってないか?作家は同じテーマを言い方をかえて繰り返す、って言葉があるように、そんな自分にたくさんの切り口なんてないんだし、「マニュアルとオートマ」の軸は感覚を使うことを考えるいいきっかけだ、このまま進んでみよう。
 
このお財布のマニュアル感はどの程度に留めるのがいいんだろう?ホックもセンターからずらして付けた方が、手のかたちに無理がないのでは?フタのかぶせ具合も使っていて操作している感覚がいいかも。フタを開けずにカードの取り出しが出来るのはいいけど、何枚が適切な収まりに設定するのがいいだろうか?ひとまず寝かせて、使いながらじっくり考えよう。
 
という感じを繰り返し作っています。かなり、端折ってはいますが、要約するとこういう風に進んでいきます。
作るものが変われば、毎回プロセスは変わるので、今回は「マニュアルとオートマ」の軸にひっぱってもらいながら進みました。
 
作っては使って、また違う形になり、また使って、とインプットとアウトプットを繰り返すことで、見えてる景色が変わり、作ることで新たな視点が生まれます。新作作りは旅みたいです。ひとりブツブツと騒がしく作っています。
 
昨日も、フッと思いたち、違う新しいものを作りはじめました。着地しないものが増えていきますが、そのうち出来るかな、とおおらかに思いつくままに作っていきたいです。
 
 
最初に書きましたが、使った感想を書いていただくフォームあります。
いただいた要望のものを作ろうと思っても、どんどんスライドして違うものになったりしますが、そのきっかけがないと作らなかっただろうと思います。こちらのフォームからご意見いただけましたら嬉しいです。
 
2023.9.12 | note

2023.8.7

憧れ

 

8月7日は僕の誕生日。
毎年、誕生日の過ごし方は1週間くらい前から考えはじめ、そわそわするのが習慣になっています。誕生日に過ごす1日は、それが1年を象徴する出来事であるかのように、1日の過ごし方がトレースされ、広がっていく、そんなイメージを持って大切にしています。

 
いろいろ考えるものの、次の3つの過ごし方になります。
 
何もせずに過ごす。(何もしないとはいえ、本は読む、映画は見ない。)
掃除をして過ごす。
新作をつくる。
 
のどれかになります。その時間の過ごし方が好きです。
 
数日前に、Mac Demarcoさんの『One Wayne G』という199曲入りのアルバムを聴いていたら、あの時に作っていたものをもう一回作ろうという意欲がムクムクと湧いてくる。
今年の誕生日は新作作りの時間になりそうだ、と思っていたけど、ササッと形が決まってしまった。
 
なので、8月7日はブログを書いてみよう思いつく。
自分自身に向けて、というか、ただ文章を書くということが、なかなか出来ないなぁと感じていたので、たまには思うがままに文章を書いてみる、という自分へプレゼント。
 
作った新しいものというのは、数年ころ前に、かなり意欲的に作っていたもので、着地しなかったもの。
「Open Case」という名前で、ただの袋といえば袋。「作り手として何もしていないじゃないか?」と言われれば、まさにそのようなものを作りたかった。というか作る必要性を感じていた。
 
ものを作る上で僕の理想は、星座のようなあり方。空に浮かぶ光の点をつなぎ合わせて、意味を生み、それが、ものがたりになる。
 
憧れのように、夜星を眺めるけど、ただ、星は光であり、僕に物語ってはくれないことに、はがゆさを感じる。
 
僕が作っているものは、装飾性のない、シンプルなものだと思うけど、装飾というものへの憧れもある。デザインを学んでいるうち、「シンプル」という言葉はすごい強度で僕に作用した、有無を言わさず入り込んできたと言ってもいいかもしれないくらい。
 
装飾というのは、人々が共有するものがたり、と言い換えることもできる。
児島虎次郎さんが収集した古代エジプトの装具展を眺めていると、動物や架空の生き物や、人やエネルギーや自然などが描かれている。
それらは、人々が見ていた世界でもあるし、集団の中で共有した(くらくらするくらい)豊かなものがたりなのだ。
 
その繊細さを眺めながら、数千年の時間のあいだに、僕らが無くしてしまった、あるいは感じられなくなったものを感じ静かにうちのめされる。
もし仮に、僕がものに装飾を施しても、それは自分のからだから出たものではなく、装飾の為の装飾になるだろうと思う。
 
星座がものがたらないこと、装飾にものがたりを込められないことは、同じ根っこだ。
 
「シンプル」という造形は、人々が個人になっていくこととリンクしている。
1900年代頃から始まった流れだろうか。僕自身もその流れから出ることはなかなかに難しい。
 
というわけで、オープンケースを作ろうと思い至ったのだ。
シンプルになるなら、これ以上ないというくらいシンプルなものを作る。その極北は、引き返し線のような役割を担ってくれるだろう。
そこに行ききることなしには、豊穣な世界の流れには入れないのではないか?と切実に考えていた。(結構シリアスですね。妄想的でもある。)
 
オープンケースは完成には至らなかったその訳は、適切な素材を手に入れることが出来なかったから。
「この素材で作ろう」と目星をつけていた素材があり、試作を重ねた。そろそろ材料屋さんから本ちゃんの材料を購入しようと思ったところ、なかなかのハードルのロットが設けられていた。その上、素材はかなり前に見たもので、サンプル帳はいただいていたものの、豪雨被害の時に流されてしまっていた。サンプル帳も無く。革屋さんが、素材のサンプルもないとのことで、記憶だけを頼りに素材を作ることが出来なかった。(その個人的なアイテムに、中古車が買えるくらいをかけることが出来なかった、とも言える。)
 
ただ、それだと悔しいので、その時に進めていたサンプルをベースにして、スウェードのラインナップを立ち上げていった。
Open caseとFlat shoulderの本体の構造が同じなのは、Open caseを断念することが出来なかった為、Open caseをベースにして作ったからです。
 
数年前に作ったkarukuというラインも「Open Case」の受け皿として考えていましたが、karukuを作った時と今の感覚が違うので、分けなくてもいいか、と思っています。
(この辺りのこともまた文章にしたいです。)
 
灼熱の日々が続く中、ラジオから『One Wayne G』の曲(調べたら 20190726という曲です)が流れ、何かに感化され、Open Caseを作りました。
『One Wayne G』のてらいのないシンプルな音は、Open Caseを作りたいと思った気持ちに通じるものがあるのかもしれません。
当初はいささか妄想じみたシリアスさで考えていましたが、今はうって変わって、てらいなく素直に作っています。多分Mac Demarcoさんの音楽に触発されたのだと思います。
ありがとうございます。
 
久々に思いつくままに文章を書くのは楽しいです。
いつもは、数日くらい寝かせてアップするのですが、今日は誕生日ということで、一筆書きで書いたままアップします。
暑い日が続く中、さらに暑くなりそうな文章を読んでくださり、ありがとうございます。
今から少し掃除します。
 
 
2023.8.7 | note

2021.3.23

First Rucksack

 

広島にあります、認定こども園さざなみの森さんと一緒に、子供たちが使うリュックを作りました。生地選び、色、仕様などを、菜穂さん、松井さん、さざなみの森のスッタフの方々と、対話しながら1年半くらい前からゆっくりと進めてきました。

 

 
 
最初にさざなみの森さんが大切にする事をじっくり話し合いました。リュックの制作で迷った時は、この言葉とモノを行ったり来たりしながら進めていきました。
 
 
 
リュックの色は、広島の田んぼ、岡山の田んぼを、それぞれ場所で眺めながら決めた、稲穂の垂れた秋を映す色。子どもたちへの成長の願いを込めた色です。お互いの田んぼの写真を送り合いながら、色の最終決定しました。
 
広島と岡山でお互いの見る田の色は違いますが、イメージで同じ色を共有できている手応えがありました。生地は倉敷にあるタケヤリさんにお願いして、バシッとイメージの色に仕上げてもらいました。
 

今回は初めて縫製を縫製屋さんにお願いし、僕はデザインに専念しました。量産に落とし込む際に、スタッフの皆が制作出来るよう、ネジを緩める工程を経る事で、モノに客観性が帯びます。これが量産の楽しさか!と感じる事が出来たのも、すごくいい勉強になりました。

チームでのものづくり、これはハマりますね。縫製チームは倉敷に工場があるSally-allyさんにお願いしました。ほんと最後の最後まで、細かい箇所にもお付き合いいただいた、代表の長野さん、ありがとうございます。
 

子供のアイテムを作る事も初めての経験です。これまでは、自分の体を使って使い心地を確かめていましたが、子供の使用感は見て感じる事しか出来ないので、じっくり観察しました。リュックを背負って違和感なく遊ぶ様子や、気持ちいい〜、といってくれる子もいたりして、たくさん背中を押してもらいました。

 

 
↑1回目の観察、ここからさらに修正して、
 
 
 
↑2回目の観察
 
ここから、ネジを締めたり、緩めたりして、最終の形になりました。
 
自分の子供が生まれたタイミングで依頼いただき、一つ一つに向き合う時間はとてもありがたいギフトのような時間でした。
 
昨日、届けに行き、タグを付けたり、お渡しできる状態に整えました。
 
 
 
 

4月から子供たちが使う姿を想像するとホクホクした気持ちになります。

工房の中でものを考えるというより、さざなみの森の風景の中でものを作ったという手触りが残ってます。子どもたちの成長に寄り添うものになれば嬉しい限りです。

 

 
 
 
 
First Rucksackはonline shopにアップしています。
さざなみの森さんの定番の5色はこちらから 、実験的に制作した、First Rucksack color はこちらから  ご覧ください。
 
 
2021.3.23 | note products

2020.12.19

愛用糸

 

ここ数年、材料や具材などが、少しづつなくなってきている。高齢の方が定年で抜け、後継者がいないと、当たり前にあったものがなくなったり、当たり前に出来ていた事が、出来なくなってきている。案外、業界を支えているのが、数人の方だったりする。

当たり前が、当たり前のことではなく、その持ち場で懸命に働かれている方に支えられたものなのだ。

今回は愛用の糸が仕入れにくくなった。
なくなった訳ではないけど、最小ロットが設けられ、すごくハードルの高いものになった。

具材が変わり、写真を撮りなおし、お店さんも写真を撮りなおす事を考えると、
現在使っているものは、在庫がある分を確保した。

新しく作るものに関しては、愛用糸は使えないので、何かしらの工夫が必要になる。

ANDADURAで使用している糸はコア糸と言って、強い繊維の周りを綿で覆い、強度と質感を両立させたハイブリットな糸を使っています。

他メーカーでもコア糸はあるけど、色数が少なく、これまで通り色を合わせる事が難しくなる。違うタイプの糸を使うか、なかなかなに迷うところ。

新しい目線での組み合わせができるようになる必要がある。

材料や、具材はいつなくなってもおかしくないとバシバシ感じるので、
僕にできる事は、作っているものの本質みたいなものをしっかり据える事だと思います。
その上で、具材や材料が変わっても、本質部分は変えずに柔軟に対応していく。

具材が使いにくくなる事は、うーんと頭を悩ませますが、
その分、本質を眺める良いきっかけと考え、良い方向に進んでいけたらと思います。

ほんと、マイナスをプラスに転じる必要性を感じる機会がとても多くなってきているように感じますが、当たり前に制作できる事に、感謝する事が増えたのはきっとプラスの面ですね。

愛用糸は使えないけど、まだ糸を作ってくださっている会社さんがある事、
とっても感謝です。ありがとうございます。

そんな気分になったので、ブログを書いてみました。

 

 

 

2020.12.19 | note

2020.12.4

ゆずを摘みながら

早くも12月になりました。

そういえば、2010年に独立したので、よく考えてみると(別に考えなくても)
10年経っているなと気がつきました。

というわけで少し初心を思い出してみようと思いつらつら書いてみます。

今から考えてみると、ものを作る、この道に入ったのは、今から15年くらい前に「身体はシステムから自由だ。」という言葉に出会ったのが大きかったような気がしてます。

その時、「確かに!肉体労働しよう。」と思いました。
ただ身体を動かすだけは退屈しそうなので、頭も使う、ものづくりがちょうど良いのではと考えました。

なので、最初に工房で働く時も、ものづくりするっていう事より
「肉体労働するぞ!」と意気込んでました。さらに言えば、身体を使う事を生活の中心に据える事で、自分自身がどう変化するのか?ということに興味津々でした。

最初にミシンを踏んで、手を動かす生活が始まると、「瞑想しているみたいに整うじゃん。」と、たまに通っていた西日暮里の瞑想道場に通うのもやめました。
「無心で手を動かすって瞑想みたいなものだから、仕事していればいいな」と感じたからです。

ANDADURAを始めて(もしくは始める前からも)からずっと、この「身体性」というキーワードが自分の中の柱としてあったように思います。

素材をそのまま形に置き換える、って事も、身体で感じるものを大切にしてきたし、
田舎に移ったのもそうだと思います。(田舎暮らしというより身体暮らしってイメージでした。)

それで、「身体はシステムから自由」なのか?と聞かれると、勿論ですと答えます。

独立当初に「自分が見た事ないものを作ろう」と思ったのは、自分が目にした事ないものが
目の前に現れるって事は、システムの外側に自分がいるって証明だ、などと小難しく考えたからです。

そして、少しづつ自由になっていると確かな手応えを感じていたわけです。


今改めて、この身体性って大切だなと感じています。
「そうだ、肉体労働しよう」と牧歌的に思った15年前より、より窮屈になっている気がするからです。

僕が言いたいのは身体を使うと整いますよ。って事かもしれません。
 
ものを作る事においては頭はさして使っていない気がしますが、頭を使うところは、もっと頭を使わなくてはと思います。

などと、柚子を収穫しながら考えました。
 


言い忘れてますが、ANDADURAを始めて10年、みなさまありがとうございます。
おかげさまでこうやって活動出来ています。
これからもモノを作る事で自由になっていけたらと思ってます。
 
 
2020.12.4 | note

2020.7.25

高梁川

 

ANDADURAの工房は高梁川が流れる、岡山県総社市と高梁市の間くらいに
あります。水内橋という橋を超え、4キロほど山を登ったあたりにあります。

工房の少し裏には、若水山古墳という古墳があります。
なので、年に数回は古墳を見に来る人がやってきます。

工房の山側には山本城というお城があったらしく、
工房の隣には、山本城の城主のお墓があります。
なので、年に数回はお墓まいりに来る人や歴史好きの人ががやってきます。

工房のある場所の屋号は若水といって、山本城に水を運んでいたらしく、

場所との縁を感じるところです。


年に何度も古墳やお墓に来る人がいて、
「何してんの?」って感じで声をかけられる事があります。

古墳好きな方や、歴史好きの方はお話好きの方が多く、
僕もこのあたりのことについて、あれこれ聞いたりもします。

この場所では、昔スイカがよく作られていて、立派なスイカだった話や、
山本城を発見したのは、工房のうらの渡辺さんのひいおじいちゃんである事、
なんかも知りました。

そんな中でも、ある日に来たおじちゃんは、
「あそこ見える高梁川、昔どんな風だったか知っとるか?」
「あんま変わんないんじゃないですか?」

「昔はな、高梁川から金比羅に向けて船がでよったんじゃ。」
「めちゃ楽しそうじゃないですか?」

「そんでな、このあたりの川沿いには賭場がたくさんあってな、
田んぼや土地なんかを賭けよったんじゃ。見えるじゃろあの辺りに
賭場があったんじゃ。この辺の主要産業は賭場だったわけじゃな。」
「土地賭けてたんですか、破天荒ですね。」

金比羅へ船で行く旅路は想像するよりずっと破天荒なもので、売春防止法が制定される、
昭和30年頃まで続いてようで、僕が生まれる30年くらい前とは思えない、
遠い昔の話を聞くようだった。

みんながみな、賭け事に勤しんでいたわけではないだろうけど、
人の気質も土地の成り立ちも、今とは全然違うんだなと思い、
改めて高梁川を眺めながら、そんな風景を想像したりする。

また30年くらい経った時には、
「あそこにな、コンビニゆうもんがあってな。」
などと僕が若者に話していてもおかしくない。

ひとつの場所に長く住むと、ひとつの風景を見るにしても、
いろんなレイヤーが重なり、視野の肌理が細かくなっていく楽しさがある。

農作物や植物や昆虫や動物や、神楽や神社仏閣や習慣などの人間の営みを知り、
想像しながら、風景を眺めるのが楽しい今日このごろです。

高梁川を眺めつつ、諸行無常を感じたりして、
「かりそめ、かりそめ」などとつぶやいたりもします。
 
 
2020.7.25 | note

2020.7.17

おじいちゃんの松

 

工房を出て少し歩いたところに、
大きな木が一本。御神木ではないらしい。なぜだか近くの小さな木が御神木との事。

そこに年末に祝詞をあげる、小屋がある。

折に触れて思い出す事がある。
去年のこと。

地域のみんなで火を囲んでいて、
ネコのおじちゃん(と僕は密かに呼んでいる)が

「ここには昔、松が生えとった。え〜松じゃった。」
と言う。

そばにいたYさんも
「あれは、え〜松じゃった。」

そこにいた、80歳以上の方々は遠い目をし、
しばしの沈黙。

ふっと思い出したように、ネコのおじちゃんが
「そういえば、○○子さんは今何しよるんかの〜。」

○○子さんの行方を知っている人が
「今は○○しよるんよ。」(僕が覚えて無い)

「ほーか、まだ生きとるか。○○子さんは可愛かったの〜。」
とネコのおじちゃん。

多分○○子さんは、ネコのおじちゃんが恋した人で、
一緒にはならなかったんだろう。

なんとも無いやりとりだったけど、
それから今はなき松のことをたびたび想像してしまう。

今はなき、松の木の下で遠い昔に、
若き日のネコのおじちゃんと○○子さんが一緒にいる姿を想像する。
Nick DrakeのPaddling in Rushmereって曲を脳内でBGMとして流しながら。

松の話をして、恋した人を思い出す。
いい松だったんだろうなぁ。見てみたいなぁ。

こんな事を考えていると、とっても幸福な気分になっていたりする、
今は亡き松の木に幸福感を与えてもらうことがあるんだなぁ、
っていう、おじいちゃんの松の話。

 

2020.7.17 | note

2020.5.8

革作りについて

数年前に広島の84さんでの展示の際に革について書いた文章です。

 

この時期は革作りが一時的に安定していた時期なんだな、と記事を読んで思います。
革について書くときに、革はナマモノとよく言っていますが、
まさに現在も試行錯誤しながら革を作っています。

 

この頃は栃木の革のベースで革を作っていましたが、
今は昭南皮革の革をベースにしています。
いろんな事を変化しながらやってきましたが、
変わらないのは、革屋の佐藤さんと一緒に作っている、という事と、
いい革を作りたいよね、という2人(僕と佐藤さん)の心持ちでしょうか。

 

前に書いた文章ですが、
革作りについて正直に書いていますので、
読んでみて下さい。

 

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・革作りについて

 

ANDADURAで使用している革はオリジナルで作ってもらっています。
モノのベースになるもので、思い切って言えば、素材が良ければ
良いものになるし、素材が悪ければ、それだけのものにしかならない。
だからこそ、日本の革で職人さんとともに素材作りから行うことにしました。

 

革という素材はなま物で、その時その時で上がり方が違います。
あまりに異なる事が多い為、「農作物みたいなもの」と考えるようになりました。
雨が少なかったりといった天候に左右され、完全なコントロールはしにくい農作物の
ようなものだなと感じるからです。

 

ANDADURAをはじめて、数多くの革を使ってきました。
革が届くと革屋さんに感想を伝え、そして、次に作る革の方向を決めてゆきます。
毎回毎回良くなるように、作り方を少し変えては元に戻したりします。
ほぼ毎回微妙に異なるやり方で作ってきました。
革屋さんの良い革と僕の考える良い革は微妙に違います。
僕は製品になった時に良い革を良いものと考え、革屋さんは革としての良さを求める傾向にあると思いますので、毎度そのズレも話し合い、展示会にも来てもらい、求める革を共有する作業も必要になってきます。(革屋さんと話し合う為に、携帯は話し放題プランにしたくらいです。)

 

毎回「今のベスト」を目指して作ってきました革ですが、ようやく求めるものが安定するようになってきました。
素材は活動のベースですので、6年をすぎ、ようやくベースが安定した訳です。
ANDADURAを始めオリジナルな革で作る、と決めた時、「革作りは5年は踏ん張ろう」と決めました。生々しい話しですが、オリジナルで作る以上、どんなものも買い取ります。ですので、使える部位が少ない革が届くとビールではなく発泡酒を飲む事となります。

 

あれこれ話し合い、時に揉めたりしながら、首の皮一枚でつながっている状況になる事もありましたが、それでも、信頼できる職人さんと素材から作れる事は、常に喜びを感じます。

 

そんな革がベースになって、形を支えてくれています。

 

 

2020.5.8 | note

2020.4.6

AYANO REPORT

妻の綾乃が書いた、AYANO REPORT。

展示会などで読んで頂けるよう冊子にしてましたが、
AYANO REPORT pdf版作りました。

REPORTは15年前位から、3年位までの事を
REPORT2はここ数年の出来事を綴っています。

AYANO REPORT.pdf

AYANO REPORT2.pdf

結構長いですが、よろしければご覧下さい。
こういう長いものすすめる時は、秋の夜長にどうぞ、と言いたいところですが、
今は春なので、そう言えないのがくやしいところです。
2020.4.6 | note
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