ANDADURA

BLOG

2010.9.27

お取り扱い店舗『mokodi』

名古屋の星ヶ丘にある、日々の生活の道具を扱うお店mokodiさんでお取り扱い頂く事になりました。

以前のブログ、「土井さんの話」で書いた。
「プロダクトと作家のちょうど良い間にいるね。」と言って頂いたのが、
mokodiの店主の市川さんだ。

市川さんとお話してると、自分の作るモノがきちんと伝わっている嬉しさがあった。
だから、mokodiさんで、お取り扱い頂く事はとても嬉しく思う。

お店には、日々使う道具達が、並んでいる。
そして、ANDADURAも日々の道具として見て頂けたら…

mokodiさんはこちらからご覧頂けます。
2010.9.27 | shop

2010.9.16

SOTHEBY'S



たまに、本棚からだして、ふふん、と眺める、写真集がある。
『SOTHEBY'S-phoografics image and related material』と題された本。
おそらく名前にもあるように、サザビーズのオークション目録だろう。

この目録によれば、1844年に撮られた写真らしい。
今からざっと(といいながら、暗算ですぐに出せないのがモドカしい)166年前の
写真である。(結局電卓の出番となる。頭よ!!)

ついでに言うと、オークション目録だけに、落札予想価格が載っている。
300-500ユーロ(多分ユーロです。)高いのか安いのか、門外漢な僕には
分からない。しかし、この古い写真達、ことごとく、粒子が荒い。

現在のデジタル放送に慣れている僕の目からは(といっても我が家にテレビは無いのですが…)
とても荒いのだ。

しかし、荒さが伝えてくれるものもある。欠落というのは、教えてくれる事もある。
もちろん、鮮明さが伝えるものもあるのだが、
もし「荒さ」と「鮮明さ」に一票入れなきゃいけない場合。
「荒さに一票!!」と謙虚に一票を投じる心構えもある。

おそらく鮮明さが勝ち上がるだろう。それは分かっている。
だから、謙虚に一票なのである。

何を言いたいのか、少し分からなくなってきたが、
「いやー、古い写真もいいね!」という単純な事のような気もする。

うん、そうだ。古い写真も良いですよ。
2010.9.16 | note

2010.9.12

夏のおわり

夏の終わりを感じたのは、2日前。銭湯で体重を量った時の事。

この猛暑で沢山汗をかいたせいか、体重が4キロも落ちていた。
もともと指名手配になったなら(ならないだろうが)「御用ポスター」には
「170センチ・痩せ型」とかかれるであろう僕のどこに4キロも落ちる肉が
あったのかと、驚いた。

ふっと、気がつくと無意識で「もうこれ以上は落ちないだろう。」
とおもっている自分を発見した。夏の終わり。

そして、この夏、不思議に心に残っている言葉がある。
8月7日の事。(自分の誕生日だからはっきり覚えている)
帰郷していた僕は、友人の結婚式に向かう為、
バスにのって目的地へと向かっていた。このバスは、
僕が高校に通っていたバスで、山をひとつ越え「呉」へと運んでくれる。

そんなバスの中で、隣の座席に座っている2人の高校生の会話
「俺、小説を書こうと思ってる。」
「うん。それなら、自分が体験しなかった事を、思い出して書けばいい。」
と聞こえてきた。

そして、先日とある本の中で、小説家のポール・オースターが同じ事を言っていた。
オースターの場合、「小説は起こらなかった事を思い出して書く事だ、
だから、フィクションを書く事は、ノンフィクションを書くより難しい。」だが、
ポイントは同じである。

そして、オースターの言葉を読んで、あの高校生の事を思い出したのだ。
あの高校生も読んだのかな…
と思ったが、聞こえてきた声は自分の言葉で語るときの声だった。
読んだか、読んでないかは、全くどうだっていい。

なによりも、僕の耳に聞こえる声があったのだ。
そして、今思い返すと、なんだか、嬉しい誕生日プレゼントを貰った
ような気がするのである。
2010.9.12 | note

2010.9.12

気がついたら大掃除

きっかけは窓だった。たまたま手にしていた、濡れタオルで窓を拭いたら、景色の見え方が違う。
気を良くした僕は、メラニンスポンジを買いに走った。
そして、窓は今までとは違うクリアな景色を僕に見せてくれる事になった。

網戸を外し、風呂場でゴシゴシと、
メラニンスポンジで、目につくものを、ピカピカにしていった。

極めつけは、キーボード清掃である。
年に1度の恒例行事。確か去年は、大晦日にやったっけ…

それでは、キーボード清掃を…



現在のキードード、あのビニールのカバーをつけるのが、嫌なので、
手あかがついております。そして…



キーボードのキーを全部外します。



漂白剤入りの、ボールにキーをつけます。



5分程おいて、ざるでじゃぶじゃぶと。シュールだなぁ、この絵



そして天日干し…。少し離れて客観的にぱしゃり。シュールな絵



そしてパズルの如く、ひとつひとつ



完成!!ピカピカ新品です。

約1時間かかります。
窓ガラスからパソコンまで…
気がついたら、大掃除。

とっても、さっぱりしました。
2010.9.12 | note

2010.9.11

サダマラソン

本日、我が家にサダマラソン中の佐田君が寄ってくれた。まずは、どこから話したものか…

当然の疑問。サダマラソンとは、からですね。もちろん
サダマラソンはサダ+マラソンです。

佐田とは大学の同級生で、益子のスターネットさんで働いており、
この度、仕事を辞めて、神戸に帰る途中に寄ってくれた訳です。

見えてきましたね。
そう、益子から神戸までを走って帰るのです、サダマラソン。
サダマラソンルールにはお金は使わない。というものもあり、
いろんな人にお世話になりながら、神戸へと帰るのです。
走って帰ると聞いたとき、なんとも良いなと思った。

いろいろなものが見えるであろう、これから先、
神奈川→神戸間。
密かに、見守りつつ、気をつけて、そしてじっくり楽しんで…と思うのでした。
2010.9.11 | note

2010.9.9

オー特注ール

密かに特注の事をオートクチュールと呼んでいる。意味も近いし響きも似ている、「オー特注ール」。

制作の上で、具材を特注で頼む事もしばしある。
先日届いたオートクチュールを紹介します。



左がオー特注ールのRとり。
角のアールを取る際に使用します。

右は道具屋さん購入のRとり。

細かい事ですが、Rのサイズも気を緩めると、市販のサイズで作ってしまいそうに
なります。10mm、15mm、20mmと5mm刻みで揃っているのですが、
やはり18mmが一番バランス良いな、と思う事も多々あり、
そんな時、20mmに妥協せず、「オー特注ール」を頼むのです。

小さい事ですが、そんな事が、大切だなと思います。
因にオー特注ールR取り。逃げの部分も作って貰い、
なんとも使いやすいのです。
2010.9.9 | note

2010.9.8

○○の秋

ブログに間隔があきました。というのも、秋の夜長は、修理をしようと意気込んで、
いろんなものを直しておりました。するといろんな所に目が向き、
お風呂の大掃除をしたりと、いう始末。
おかげで、工房はきれいになりました。

そして「芸術の秋」と称し、
ビデオを借りに行くも、バイクがパンク、手押しで帰ったりと、
踏んだりけったり、な日々でした。

そして、「クリスマス・キャロル」を読みました。
ディッケンズのあれです。
ふむふむ。スクルージの様にカチコチの心にならない為にも、
昔の事を思い出すのは、大切だな、なんて思ったりしました。
「柔らかき感性」という言葉を思い浮かべては、ふにゃふにゃになる、
のが好きな僕にとっては、カチコチなんて…

いろいろ、昔の事を思い返しておったりもしました。
たまには良いものです。

思い出した昔の話をひとつ
小学校低学年の頃、好きな子が出来ました。
どうして良いのやらな、僕は、
「とりあえず、身体だけはきれいにと」いつもより丁寧に身体を洗う事にしました。

なかなか、乙な子供じゃないか!

とりあえず、身体はきれいに…
柔らかき感性を…

今年の秋は、こんな感じで臨もうと思います。
2010.9.8 | note

2010.9.1

秋の夜長

さて、僕はジーパンが好きである。きちんとした格好をして行く必要がなければ、
大抵ジーパンを履いている。
と言っても、何もビンテージだとか、何年代のこれこれが…
というような事はなく、サイズが良ければ、満足して履いている。

ジャストサイズのジーパンが2本穴があいた。
昨日の深夜、ふっと思い立って、ジーパンの修理を始めた。
これが面白いのなんのって、ジーパンの厚さを維持しつつ穴を埋めてゆくのである。

さて昨夜の成果です。











よく見ると、いろんな穴があって楽しい。
そして、修理も面白く、もっと破れたジーパンは無いのか、といささか倒錯した
心持ちにすらなる。穴埋め作業は奥深く、糸のチョイス(昨日は家にある糸を使用)
から、縫いのピッチ等々、あと10本程直せば、すごく上達しそうだ。

さて、我が家には、いろいろ、修理をまっている物が沢山ある。
秋の夜長はいろんな修理を楽しもう。

次は、折りたたみ椅子の布の貼り直しをしよう。
そして、やってみると楽しいので、
はまりすぎない様、気をつける事にしよう。

あー、秋の夜長が楽しみだ。
2010.9.1 | note

2010.9.17

土井さんとベランダで

すっかり秋だ。気がつけばロンTを着ている。それだけでただただ嬉しい。
そうロンT、大好きなのです。

朝、夕と肌寒く、そんな日は、ベランダで、土井さん(前回登場)と話をする。
夏で、思考停止されていた頭が、ようやく、少し回転を始めた。(長かった…夏…)

ベランダにコーヒを持ち、土井さんとおしゃべり(といっても独り言に近いのですが。)

ヤ(ヤマモトの略)「土井さんは、なんで工場長になったの」
ド(もちろん土井さんのド)「工場長は総合的だからな。」

ヤ「そんなに総合って魅力的?」
ド「今となっては、部分的な事ななんて、興味持てんな。」

ヤ「何故?」
ド「おまえさんは、総合って簡単に言うけど、どう考えてるんだい?」

ヤ「うーん。総合は総合でしょ、土井さん。」
ド「総合ってのはだな、人体みたいなもんさ、部分が全体であり、全体が部分なんだ。」

ヤ「実に分かりにくいよ!」
ド「そうさな、分かりにくく言うと、分かりやすくなるかもな、例えばおまえさんが、
完璧に総合的にバランスがとれたものを作ったとする。」

ヤ「うん。」
ド「それはね、三日月の端にクリップで留めたメモのようなモノになる。」

ヤ「?」
ド「つまりね、誰も気づかないのさ!そんなものがあることに。」

ヤ「それに意味はあるの?」
ド「意味は無くはない。百人に一人位は、気付くんだ。月に何かあるぞって。」

ヤ「うんうん」
ド「そして、運良く気付いたとしても、何て書いてるのかは、分からないんだ。」

ヤ「また振り出しだね。」
ド「そうでもないさ。お前さんが、見たければ、何て書いてあるか、見ればいいのさ。」

ヤ「土井さんは、見たの?何て書いてあるか?」
ド「ワしゃ、見ておらん、あんまり、見たいとも思わんのでな。」

ヤ「そんな!きっと素敵な言葉が書いているよ。」
ド「素敵かもしらんが、わしは見たくないんだ。後戻り出来なくなるからな。」

ヤ「後戻り?」
ド「そう。秘密は秘密のままでいいんじゃ。」

ヤ「そんなもんかな?」
ド「わしにとってはな。おまえさんは、見た方が、良いんかもしらんが、
誰にも、そんな事は、分かりゃせんよ。」

ヤ「今日は、なんだか抽象的な話だね。」
ド「抽象的な事も、突き詰めると、具体的になるし、一定のポイントを超えれば
それらは、繋がっておるんじゃぞ。」

ヤ「そんなもんかな。」
ド「そんなもんじゃ、経験則じゃ。」


などと、つらつらとりとめもなく。
やはり、一人の時間が長いと、それなりに楽しみをみいだすんだな、人って。(僕ってだな。)


ベランダからの風景。吸い込まれそう。
2010.9.17 | note

2010.8.30

【column】機能性について

シャワーを浴びる前のひとブログ。スパゲティータイムコラム。

さて、いつ頃だったか、機能性という言葉が巷間でよく聞くようになった。
僕が高校生の頃か、まあその辺りだったと思う。
そして、僕の反応は「本当か?」というもの。疑り深いというか、
受け入れるまでに時間がかかる、そして受け入れた後だって、
たまには「本当なのか?」と検証したりする。我ながら厄介な性格である。

今思うと、機能性という言葉は、何も使いやすさを表す言葉ではないような気がする。
機能性という言葉が囁かれ始めた頃、いろんな技術の発達により、電子機器のポータブル化
があったのではないか?そしてポータブル化に合わせ、鞄業界もそれに合わせ、
ポータブル商品の持ち運びを進める事となる。その際にその現象を表す言葉として
「機能性」という言葉が採用されたのではないだろうか。

だってさ、(なんちゅうものいい)僕にとって機能性を詠われた鞄が、使いやすかった
事なんてないもの。「ポータブル化対応鞄」なんて控えめに言って欲しいと思うが、
それでは売れないのだろう、しかし…である。

そしてなんで機能性鞄が使いにくいか(というか僕と相性が悪いか)いろんな物を
持ち運ぶ、ノートパソコン、アイフォン、手帳などなどを持ち運ぶと、当然それらの機械を
使う事となる。そうすると、~ながらという機会が増えるのである。
要するに、機能性バッグを持つと、気が散るというか、散漫になる。
幸田露伴は、著書の中で、一つの事をやる時は、それに集中しなさいと言っている。

僕はこれに賛成だ。だから例えばポケットが一つの鞄を持ち、何を持ち歩くべきかを検証し
必要な物のみを、持ち運ぶ。ポケット一つだからこそ、検証する。
そう考えると、ポケット一つ位の鞄の方が、機能的と言えるのではないか?

すっきりした、吐き出す事は気持ちが良い。
しかし、なぜ、コラムを書こうと思った自分自身が謎である。
またそんな気分になったら、また書いてみようと思う。

それでは、シャワーを浴びてきます。
2010.8.30 | note
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