ストリーミングでも聴けますが、ダウンロードしてリピート再生で散歩musicとしても心地よいかと思います。
個人的には夕暮れ時、漏れてくる夕飯の匂いを感じながらの散歩中、というシュチュエーションがいいなぁ。

短い散歩:大島亮
楽しいこと、心地よいことは、共有したいと思いアップしました。
「短い散歩」の音源は下のボタンよりダウンロード頂けます。ぜひ♪
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あけまして、おめでとうございます。
工房の風景。ミシンが2台。鉄製のもの言わぬ寡黙な相棒。
ふと思い返してみると、生活の傍には常にミシンがあったなと思う。
中学校2年生の頃から(おばあちゃんに貰った)マイミシンを持っていたので、かれこれ25年ほどミシンと暮らしている計算になる。
最初のミシンはコンピューターミシンで、大学卒業まで使い続けた。
その後、8台くらい様々なミシンを使った。コンピューターミシンの後は、職業用の直線縫いミシンになり、鋳物の職業用ミシン、工業用ミシンと少しづつミシンが変化していった。
今でも、古い家などで足踏みミシンが使われていないのを見ると、少し寂しい気持ちになる。ミシンの佇まいは生き物を想起させる。今の2台は同機種の年代違いのもので、頼もしい兄弟のよう。
何でミシンに惹かれるんだろう、と思っていた時、『ドラムマジック』ミッキーハート著を読む。そこでは、ドラムはどこかに連れていってくれるヴィーグルであった。ミシンも同じだと思った。ミシンはものを縫い合わせる事で、どこかに連れていってくれる乗り物。
ミシンの誕生の歴史は少し悲しいもので、『発見発明小事典』エドワード・デ・ボノ著、によると1755年イギリスのC・F・ワイゼンホール氏がミシンに使う2重針の特許を取る。1790年にはT・セイン氏がミシンの形態を備えた装置の特許を取得。
1830年にフランスのB・ティモニエが木製のミシンを考案。1840年代には軍服の縫製用にミシンが使われるも、失職を恐れた職人たちのためにミシンは壊される事になる。ティモニエは命からがら逃げ出し、1848年には、木製ミシンに改良を加えイギリスとアメリカで特許を取得するも、ミシンは販売せず、死んでいった。
その後、アメリカのE・ハウなどがミシンの特許をイギリスで取得し、本国アメリカに戻ると自分が考案したミシンは事業家たちに製品化され、訴訟沙汰になる。
その後、様々な企業が参入し、ミシンは普及する事となる。
この新しいテクノロジーに対する反応は、現在と同じだなとしみじみ思う。
ティモニエさんの木製のミシン使ってみたかったな。現在のミシンとは違い、手のかかる愛嬌のある相棒になったであろう。
大掃除も終わり、ミシンもしっかり整備する。年末の恒例行事。
ミシンが綺麗になったら、糸を取り外し、押さえの足をあげて、裸の状態にして、年末年始はしっかり休んでもらいます。みなさまも良い年をお迎え下さい。
ここ数年、材料や具材などが、少しづつなくなってきている。高齢の方が定年で抜け、後継者がいないと、当たり前にあったものがなくなったり、当たり前に出来ていた事が、出来なくなってきている。案外、業界を支えているのが、数人の方だったりする。
当たり前が、当たり前のことではなく、その持ち場で懸命に働かれている方に支えられたものなのだ。
今回は愛用の糸が仕入れにくくなった。
なくなった訳ではないけど、最小ロットが設けられ、すごくハードルの高いものになった。
具材が変わり、写真を撮りなおし、お店さんも写真を撮りなおす事を考えると、
現在使っているものは、在庫がある分を確保した。
新しく作るものに関しては、愛用糸は使えないので、何かしらの工夫が必要になる。
ANDADURAで使用している糸はコア糸と言って、強い繊維の周りを綿で覆い、強度と質感を両立させたハイブリットな糸を使っています。
他メーカーでもコア糸はあるけど、色数が少なく、これまで通り色を合わせる事が難しくなる。違うタイプの糸を使うか、なかなかなに迷うところ。
新しい目線での組み合わせができるようになる必要がある。
材料や、具材はいつなくなってもおかしくないとバシバシ感じるので、
僕にできる事は、作っているものの本質みたいなものをしっかり据える事だと思います。
その上で、具材や材料が変わっても、本質部分は変えずに柔軟に対応していく。
具材が使いにくくなる事は、うーんと頭を悩ませますが、
その分、本質を眺める良いきっかけと考え、良い方向に進んでいけたらと思います。
ほんと、マイナスをプラスに転じる必要性を感じる機会がとても多くなってきているように感じますが、当たり前に制作できる事に、感謝する事が増えたのはきっとプラスの面ですね。
愛用糸は使えないけど、まだ糸を作ってくださっている会社さんがある事、
とっても感謝です。ありがとうございます。
そんな気分になったので、ブログを書いてみました。
赤の革でキーホルダーとカードor名刺ケースを制作しました。
輪郭がくっきりするような、鮮やかな赤です。
この2つのアイテムはOver the rainCowのアイテムだけど、小さなアイテムは革を無駄なく使うことが出来るので、赤の革でも作りました。材料を使い切れるのは嬉しいことです。特に革は強くそう思います。
online shopにアップしました。宜しければご覧下さい。
早くも12月になりました。
そういえば、2010年に独立したので、よく考えてみると(別に考えなくても)
10年経っているなと気がつきました。
というわけで少し初心を思い出してみようと思いつらつら書いてみます。
今から考えてみると、ものを作る、この道に入ったのは、今から15年くらい前に「身体はシステムから自由だ。」という言葉に出会ったのが大きかったような気がしてます。
その時、「確かに!肉体労働しよう。」と思いました。
ただ身体を動かすだけは退屈しそうなので、頭も使う、ものづくりがちょうど良いのではと考えました。
なので、最初に工房で働く時も、ものづくりするっていう事より
「肉体労働するぞ!」と意気込んでました。さらに言えば、身体を使う事を生活の中心に据える事で、自分自身がどう変化するのか?ということに興味津々でした。
最初にミシンを踏んで、手を動かす生活が始まると、「瞑想しているみたいに整うじゃん。」と、たまに通っていた西日暮里の瞑想道場に通うのもやめました。
「無心で手を動かすって瞑想みたいなものだから、仕事していればいいな」と感じたからです。
ANDADURAを始めて(もしくは始める前からも)からずっと、この「身体性」というキーワードが自分の中の柱としてあったように思います。
素材をそのまま形に置き換える、って事も、身体で感じるものを大切にしてきたし、
田舎に移ったのもそうだと思います。(田舎暮らしというより身体暮らしってイメージでした。)
それで、「身体はシステムから自由」なのか?と聞かれると、勿論ですと答えます。
独立当初に「自分が見た事ないものを作ろう」と思ったのは、自分が目にした事ないものが
目の前に現れるって事は、システムの外側に自分がいるって証明だ、などと小難しく考えたからです。
そして、少しづつ自由になっていると確かな手応えを感じていたわけです。