ANDADURA

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2025.8.25

川の無限

 

週末は祖谷川に川遊びに行ってきました。
妻の誕生日だったので、小旅行。

子には、「綺麗な川で泳ぐと、1週間くらいずっと爽やかに過ごせるよ。」と言っていた。
「それって無限ってこと?」「そう、川で泳ぐとたしかに無限になるね。」
というわけで、無限になりに川へ。

かずら橋から、上流に散策すると、川の間に、大きな丸太が挟まっているのが見える。

その丸太の半分は木で、半分は石化して、石になっている丸太だった。木って石になるの?と思ったけど、目の前の丸太は、木が石になることを、その姿で示してくれている。

一度、半木半石の丸太を見たあとでは、どの石が木が長い時間をかけて石になったものかが分かるようになっている。今立っている巨石も、木が流され、堆積し、砕け、また堆積することを繰り返し、巨大な塊となり石化したものだったと分かる。それまで石としてしか見えなかったものが、1本の丸太を見たことで、もともと木であったことを知覚できるようになっている。その知覚を通して、木の時間がその場に立ち現れてくるように感じる。不思議な感覚だ。

川を歩いて下る際は、皆で、「これは木だったやつだね。」などと言いながら、新しく開いた回路を味わうように、さまざまな石を眺める。「石だけど木にしか見えないね。」どうしてこれが石に見えていたんだろうか?

石化した木には、堆積して固まりになったものもあるけど、1本の巨木だったであろうものも紛れていて、木であったことを想像できない太さだった。大昔にはこんな大木が生えていたのだろうか。その木だった石はまさに、「恐竜時代のメッセージ」で、そのメッセージをしっかり受け取ったとは言い難いけど、「しっかり見たよ、君たちはもともとは木だったんだね。」と小さな声でささやくくらいは出来た。

川で泳いで無限になるという趣旨とは、少し違った角度で、無限を感じた週末でした。

 

 

 

2025.8.25 | note
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