ANDADURA

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2010.8.26

宿題【益子参考館レポート】

さて、重い腰は上がりました、なんせ、自分でレポートと言ったものの気分は宿題。
そう言えば、夏休みの宿題は、ぎりぎりでこなしておりましたもの…

という訳で、参考館についての写真を選びながら、
これは、伝わらないだろうな…と思った。
やはり身をその場にを置いて感じる事が、参考館の本質なのであろうが。

それでも、分からない、なりにも提出するのが、宿題の性。
100点じゃなくても提出さえすれば、廊下に立たされる事も無い…
という0点意識&言い訳からレポートを始めたいと思います。

それでは、参考館の写真(たくさん)を載せますので、
ゆっくりご覧下さい。それでは、参考館の門から写真は始まります。































さて長々とご覧頂きありがとうございます。
何か感じましたでしょうか?

おそらく写真になると感じる事は難しいですね。
参考館フリークの僕でも参考館の記憶を参照する事しか出来ません。

という訳で、初めての参考館で感じた事を、つらつら書きたいと思います。

初めて参考館に行ったのは3年前の事。その頃は設計会社を退職し、
鞄の工房で修行中の頃。

参考館に行く前にある方から「古いものを見なさい。」と言われた。
正直、骨董市にも足しげく通い、古いものを見ていたのだ。

そんな事があり、参考館に行った。
気持ちが良かった…なんだか分からないけど、眠たくなった。
なんでこんなに気持ちが良いのか分からなかった。

けれども、設計という場所で感じてきた違和感みたいなものが
分かった気がした。僕はモノを作る時、頭でモノを考えていたのだ。
その場所の事、その場所の歴史や風景や、そこに住む人の思いや、
そんなモロモロを見ず、考えず、平面図を眺め、それこそが
僕が考える、唯一の要素だったのだ。そう考えると、寂しくなった、
悲しくなった。

参考館は人の手の入ったものでも、気持ちが良い。
山と藁葺きの家、門や、置物や、大壺が自然と調和している。
きちんとその場所に向かい合い、身体で感じて作っているのだ。

そして「古いものを見なさい。」と言われた意味が分かったような気がした。
結局の所、僕は古いものを見るにしても、デザインという限られた見方をしていたのだ
と思った。表層の素材や形などを面白いと言って見てたけど、何も見てはいなかったのだ。

そしてこんなものが作れるんだと、モノを作る意味が見えた気がした。
それまで「無い方が良い。」というのが口癖の僕には、モノを作る意味が
分からなかったのだ。(もちろん経済活動なんだな、みたいなニュアンスでは
理解していたが…)

益子参考館は、展示されたモノもすばらしいが、その参考館自体を濱田庄司は
伝えたかったのではないだろうか。

僕にとって、物を作る意味が見えた場所。
行く度に、まだまだだ、と思うものの、目線の先には、そんな世界が広がっているのだ。
ありがとう、参考館。

そしてその帰りの車中は、ホント怒っていたっけ、勝手に
目に見えるプロダクトを見つけては、気持ち良くない、と。
車中を共にした、友人には悪い事をしたと思う。
感動したかと、思うと、次は怒りに満ちあふれている、
ほんとややこしい性格(単純とも言いますね。)ですまない。

長々となりましたが、参考館レポートです。
これを読んで、参考館に興味を持って頂けたら嬉しいです。

それでは、宿題を終えた子供のように、遊びに行きたい所ですが、
今は夜。おやすみなさい。
2010.8.26 | note
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